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日蓮大聖人・池田大作

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上野尼御前御返事  (1/2) 春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごと…
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貴辺は・すでに法華経の行者に似させ給へる事・さるの人に似・もちゐの月に似たるがごとし、あつはらのものどもの・かくをしませ給へる事は・承平の将門・天喜の貞当のやうに此の国のものどもは・おもひて候ぞ、これひとへに法華経に命をすつるがゆへなり、まつたく主君にそむく人とは天・御覧あらじ、其の上わづかの小郷に・をほくの公事せめあてられて・わが身は・のるべき馬なし・妻子はひきかくべき衣なし。

かかる身なれども法華経の行者の山中の雪に・せめられ食ともしかるらんと・おもひやらせ給いて・ぜに一貫をくらせ給へるは・貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへ・りだが合子の中なりし・ひえを辟支仏に・あたへたりしがごとし、たうとし・たうとし、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言。

  弘安三年十二月二十七日               日蓮花押

   上野殿御返事

上野尼御前御返事

聖人ひとつつ・ひさげ十か・十字百・あめひとをけ・二升か・柑子ひとこ・串柿十くし・ならびにおくり候い了んぬ春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごとくみたせ給うべきよしうけ給わり了んぬ

抑故五らうどのの御事こそ・をもいいでられて候へ、ちりし花もさかんとす・かれしくさもねぐみぬ、故五郎殿もいかでか・かへらせ給はざるべき、あわれ無常の花と・くさとのやうならば・人丸にはあらずとも花のもとも・はなれじ、いはうるこまにあらずとも・草のもとをばよもさらじ。

経文には子をばかたきととかれて候、それもゆわれ候か・梟と申すとりは母をくらう・破鏡と申すけだものは父をがいす、あんろく山と申せし人は師史明と申す子にころされぬ、義朝と申せしつはものは為義と申すちちを


ころす、子はかたきと申す経文ゆわれて候、又子は財と申す経文あり、妙荘厳王は一期の後・無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給うべかりしが浄蔵と申せし太子にすくわれて・大地獄の苦をまぬがれさせ給うのみならず・娑羅樹王仏と申す仏とならせ給う、生提女と申せし女人は慳貪のとがによつて餓鬼道に堕ちて候いしが・目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候いぬ、されば子を財と申す経文たがう事なし。

故五郎殿はとし十六歳・心ね・みめかたち人にすぐれて候いし上・男ののうそなわりて万人に・ほめられ候いしのみならず、をやの心に随うこと・水のうつわものに・したがい・かげの身に・したがうがごとし、いへにては・はしらとたのみ・道にては・つへとをもいき、はこのたからも・この子のため・つかう所従もこれがため、我しなば・になわれて・のぼへゆきなんのちの・あとをもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに・いやなくさきにたちぬれば・いかんにや・いかんにや・ゆめか・まぼろしか・さめなん・さめなんと・をもへども・さめずして・としも又かへりぬ、いつとまつべしとも・をぼへず、ゆきあうべき・ところだにも申しをきたらば・はねなくとも天へものぼりなん、ふねなくとも・もろこしへも・わたりなん、大地のそこに・ありときかば・いかでか地をもほらざるべきと・をぼしめすらむ。

やすやすとあわせ給うべき事候、釈迦仏を御使として・りやうぜん浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏と申して大地はささば・はづるとも日月は地に堕ち給うとも・しをはみちひぬ世はありとも・花はなつにならずとも・南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなしととかれて候ぞ、いそぎ・いそぎつとめさせ給へ・つとめさせ給へ、恐恐謹言。

  正月十三日                     日蓮花押

   上野尼御前御返事


上野殿御返事

蹲鴟一俵給び了んぬ。

又かうぬしのもとに候・御乳塩一疋・並びに口付一人候、さては故五郎殿の事は・そのなげきふりずとおもへども・御けさんは・はるかなるやうにこそ・おぼえ候へ、なをも・なをも・法華経をあだむ事は・たえつとも見え候はねば・これよりのちも・いかなる事か候はんずらめども・いままでこらへさせ給へる事まことしからず候、仏の説いての給はく火に入りて・やけぬ者はありとも・大水に入りてぬれぬものはありとも大山は空へ・とぶとも大海は天へあがるとも・末代悪世に入れば須臾の問も法華経は信じがたき事にて候ぞ。

徽宗皇帝は漢土の主じ・蒙古国に・からめとられさせ給いぬ、隠岐の法王は日本国のあるじ・右京の権大夫殿に・せめられさせ給いて・島にてはてさせ給いぬ、法華経のゆへにてだにも・あるならば即身に仏にもならせ給いなん、わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへに・あやしのとがに・あたらんとおもふ人は候はぬぞ、身にて心みさせ給い候いぬらん、たうとし・たうとし、恐恐謹言。

  弘安四年三月十八日                 日蓮花押

   上野殿御返事