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日蓮大聖人・池田大作

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新池御書  (6/6) 天魔破旬のふるまひ
1444

こころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の智識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。

今時の禅宗は大段・仁義礼智信の五常に背けり、有智の高徳をおそれ老いたるを敬ひ幼きを愛するは内外典の法なり、然るを彼の僧家の者を見れば昨日・今日まで田夫野人にして黒白を知らざる者も・かちんの直綴をだにも著つればうち慢じて・天台・真言の有智・高徳の人をあなづり礼をもせず其の上に居らんと思うなり、是れ傍若無人にして畜生に劣れり、爰を以て伝教大師の御釈に云く川獺祭魚のこころざし・林烏父祖の食を通ず・鳩鴿三枝の礼あり行雁連を乱らず・羔羊踞りて乳を飲む・賤き畜生すら礼を知ること是くの如し、何ぞ人倫に於て其の礼なからんやとあそばされたり取意、彼等が法に迷ふ事道理なり、人倫にしてだにも知らず是れ天魔破旬のふるまひにあらずや。

是等の法門を能く能く明らめて一部八巻・廿八品を頭にいただき懈らず行ひ給へ、又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ・某は日に一度・天の日に影をうつす者にて候、此の僧によませまひらせて聴聞あるべし、此の僧を解悟の智識と憑み給いてつねに法門御たづね候べし、聞かずんば争か迷闇の雲を払はん足なくして争か千里の道を行かんや、返す返す此の書をつねによませて御聴聞あるべし、事事面の次を期し候間・委細には申し述べず候、穴賢穴賢、

  弘安三年二月 日                  日蓮御判

   新池殿


船守弥三郎許御書

                    弘長元年六月 四十歳御作

わざと使を以てちまきさけほしひさんせうかみしなじな給候い畢んぬ、又つかひ申され候は御かくさせ給へと申し上げ候へと日蓮心得申べく候、日蓮去る五月十二日流罪の時その津につきて候しに・いまだ名をもききをよびまいらせず候ところに・船よりあがりくるしみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習なるらん、過去に法華経の行者にて・わたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか、たとひ男は・さもあるべきに女房の身として食をあたへ洗足てうづ其の外さも事ねんごろなる事・日蓮はしらず不思議とも申すばかりなし、ことに三十日あまりありて内心に法華経を信じ日蓮を供養し給う事いかなる事のよしなるや、かかる地頭・万民・日蓮をにくみねだむ事・鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひき・きく人はあだむ、ことに五月のころなれば米もとぼしかるらんに日蓮を内内にて・はぐくみ給いしことは日蓮が父母の伊豆の伊東かわなと云うところに生れかわり給うか、法華経第四に云く「及清信士女供養於法師」と云云、法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべしと云う経文なり、弥三郎殿夫婦の士女と生れて日蓮法師を供養する事疑なし。

さきにまいらせし文につぶさにかきて候し間・今はくはしからず、ことに当地頭の病悩について祈せい申すべきよし仰せ候し間・案にあつかひて候、然れども一分信仰の心を日蓮に出し給へば法華経へそせうとこそをもひ候へ、此の時は十羅刹女もいかでか力をあわせ給はざるべきと思い候いて・法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏並に天照・八幡・大小の神祇等に申して候、定めて評議ありてぞ・しるしをばあらはし給はん、よも日蓮をば捨てさせ給


はじ、いたきとかゆきとの如くあてがわせ給はんと・をもひ候いしについに病悩なをり・海中いろくづの中より出現の仏体を日蓮にたまわる事・此れ病悩のゆへなり、さだめて十羅刹女のせめなり、此の功徳も夫婦二人の功徳となるべし、我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが・法華経の行者となりて無始色心・本是理性・妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや、過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり、かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし。

寿量品に云く「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり、迷悟の不同は沙羅の四見の如し、一念三千の仏と申すは法界の成仏と云う事にて候ぞ。

雪山童子のまへにきたりし鬼神は帝釈の変作なり、尸毘王の所へにげ入りし鳩は毘首羯摩天ぞかし、班足王の城へ入りし普明王は教主釈尊にてまします、肉眼はしらず仏眼は此れをみる、虚空と大海とには魚鳥の飛行するあとあり此等は経文にみえたり、木像即金色なり金色即木像なり、あぬるだが金はうさぎとなり死人となる、釈摩男がたなごころにはいさごも金となる、此等は思議すべからず、凡夫即仏なり・仏即凡夫なり・一念三千我実成仏これなり。

しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか、伊東とかわなのみちのほどはちかく候へども心はとをし・後のためにふみをまいらせ候ぞ、人にかたらずして心得させ給へ・すこしも人しるならば御ためあしかりぬべし、むねのうちにをきてかたり給う事なかれ・あなかしこ・あなかしこ、南無妙法蓮華経。

  弘長元年六月二十七日                日蓮花押

   船守弥三郎殿許へ之を遣わす