Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (30/52) 最上第一の相伝
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者は千仏の来迎疑無き者なり云云。

第五 閻浮提内広令流布の事

御義口伝に云く此の内の字は東西北の三方を嫌える文なり、広令流布とは法華経は南閻浮提計りに流布す可しと云う経文なり、此の内の字之を案ず可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は深く之を思う可きなり云云。

第六 此人不久当詣道場の事

御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、此因無易故云直至の釈之を思う可し、此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、法師品には於此経巻敬視如仏と云えり、八年の御説法の口開きは南無妙法蓮華経方便品の諸仏智慧終りは当起遠迎当如敬仏の八字なり、但此の八字を以て法華一部の要路とせりされば文句の十に云く「当起遠迎当如敬仏よりは其の信者の功徳を結することを述す」と、法華一部は信の一字を以て本とせり云云。

尋ねて云く今の法華経に於て序品には首めに如の字を置き終りの普賢品には去の字を置く羅什三蔵の心地何なる表事の法門ぞや、答て云く今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり始の如の字は実相を表し終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり理は空の義なり空は如の義なり之に


依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。

如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間・法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。

一義に云く如は実なり去は相なり実は心王相は心数なり、又諸法は去なり実相は如なり今経一部の始終諸法実相の四字に習うとは是なり、釈に云く「今経は何を以て体と為るや諸法実相を以て体と為す」と、今一重立ち入つて日蓮が修行に配当せば如とは如説修行の如なり・其の故は結要五字の付属を宣べ給う時・宝塔品に事起り声徹下方し近令有在・遠令有在と云うて有在の二字を以て本化・迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に


結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり惣別の付属塔中塔外之を思う可し、之に依つて涌出寿量に事顕れ神力・属累に事竟るなり、此の妙法等の五字を末法・白法隠没の時上行菩薩・御出世有つて五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り、夫れば神力品に云く「於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑」云云此の文明白なり、仍つて此の文をば仏の廻向の文と習うなり、然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕す故にさて去の字を終りに結ぶなり、仍つて上に受持仏語と説けり煩悩悪覚の魔王も諸法実相の光に照されて一心一念遍於法界と観達せらる、然る間還つて己心の仏を礼す故に作礼而去とは説き給うなり、彼彼三千互遍亦爾の釈之を思う可し秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。

       無量義経六箇の大事

第一 無量義経徳行品第一の事

御義口伝に云く無量義の三字を本迹観心に配する事、初の無の字は迹門なり其の故は理円を面とし不変真如の旨を談ず、迹門は無常の摂属なり常住を談ぜず但し「是法住法位世間相常住」と明かせども是れは理常住にして事常住に非ず理常住の相を談ずるなり、空は無の義なり但し此の無は断無の無に非ず相即の上の空なる処を無と云い空と云うなり、円の上にて是を沙汰するなり、本門の事常住無作の三身に対して迹門を無常と云うなり、守護章には有為の報仏は夢中の権果・無作の三身は覚前の実仏と云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経