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日蓮大聖人・池田大作

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慈覚大師事  (2/2) 生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり
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五十七の二代は明雲大僧正座主なり、此の座主は安元三年五月日院勘を蒙りて伊豆の国へ配流、山僧・大津にて奪い取りて後治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給う、此の人生けると死ぬと二度大難に値えり、生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり、所謂大慢ばら門・須利等なり。

粗此れを勘えたるに明雲より一向に真言の座主となりて後・今三十余代一百余年が間・一向真言の座主にて法華経の所領を奪えるなり、しかれば此等の人人は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ、我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべし、恐恐。

  正月二十七日                    日蓮花押

   太田入道殿御返事


三大秘法禀承事

                    弘安四年四月 六十歳御作

                    与 大田金吾

夫れ法華経の第七神力品に云く「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」等云云、釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云、問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒檀と題目の五字なり、教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや、されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり、かかる砌なれば久遠称揚の本眷属・上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、道暹律師云く「法是れ久成の法なるに由る故に久成の人に付す」等云云、問て云く其の所属の法門仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給う可きか、答て云く経の第七薬王品に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、謹んで経文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没の時云云、問て云く夫れ諸仏の慈悲は天月の如し機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給べき処に正像末の三時の中に末法に限ると説き給わば教主釈尊の慈悲に於て偏頗あるに似たり如何、答う諸仏の和光・利物の月影は九法界の闇を照すと雖も謗法一闡提の濁水には影を移さず正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり、像法一千年には法華経の迹門・機感相応せり、末法の始の五百年には法華経の本門・前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり機法相応せり。


今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳・機尚堪えず況や始めの五百年をや、何に況や正法の機は迹門・尚日浅し増して本門をや、末法に入て爾前迹門は全く出離生死の法にあらず、但専ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり、是を以て思うに諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云、問う仏の滅後正像末の三時に於て本化・迹化の各各の付属分明なり但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず慥に経の現文を聞かんと欲す如何、答う汝強ちに之を問う聞て後堅く信を取る可きなり、所謂寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く汝取て服す可し差じと憂うる勿れ」等云云。

問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可らず然りと雖も三大秘法其の体如何、答て云く予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり、寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云云、疏の九に云く「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等云云、題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり、戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり、此の戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれ