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日蓮大聖人・池田大作

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下山御消息  (15/22) 然れば大悪人を用いる大科・正法の大善人を耻…
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蓮がにくさに国をかへ身を失はんとせらるるか魯の哀公が忘事の第一なる事を記せらるるには移宅に妻をわすると云云、孔子の云く身をわするる者あり国主と成りて政道を曲ぐるなり是云云、将又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか、いかに知らせ給はずとのべらるるとも法華経の大怨敵と成給いぬる重科は脱るべしや、多宝・十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば諸の菩薩記して云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん、乃至数数擯出せられん」等云云、又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云、たとい日蓮をば軽賤せさせ給うとも教主釈尊の金言・多宝・十方の諸仏の証明は空かるべからず一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども其の大科を知らせ給はねば少し天も許し善神もすてざりけるにや、而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頸に及ばむとせし事は存外の次第なり、然れば大悪人を用いる大科・正法の大善人を耻辱する大罪・二悪・鼻を並べて此の国に出現せり、譬ば修羅を恭敬し日天を射奉るが如し故に前代未聞の大事・此の国に起るなり、是又先例なきにあらず夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね殷の紂王は比干が胸をさき二世王は李斯を殺し優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し檀弥羅王は師子尊者の頸をきる武王は慧遠法師と諍論し憲宗王は白居易を遠流し徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす、此等は皆諫暁を用いざるのみならず還つて怨を成せし人人現世には国を亡し身を失ひ後生には悪道に堕つ是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり、而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召返されて同四月の八日に平金吾に対面して有りし時理不尽の御勘気の由委細に申し含めぬ、又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば金吾が云く何の比か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此


の国を睨みさせ給うか今年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのばらが用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢・真言師等に調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんがために三度までは諫暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国主の用い給はざらんに其れ已下に法門申して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。

又念仏無間地獄・阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内・前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり、然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそ・あるらめと信ずる処に後八年の法華経の序分たる無量義経に仏・法華経を説かせ給はんために先づ四十余年の経経・並に年紀等を具に数へあげて未顕真実・乃至終不得成・無上菩提と若干の経経並に法門を唯一言に打ち消し給う事譬えば大水の小火をけし大風の衆の草木の露を落すが如し、然後に正宗の法華経の第一巻に至つて世尊法久後・要当説真実・又云く正直捨方便・但説無上道と説き給う譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後足代を切り捨つるが如し、然後実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、復教詔すと雖も而も信受せず、乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賤憎嫉して而も結恨を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、経文の次第・普通の性相の法には似ず常には五逆・七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に此れはさにては候はず在世滅後の一切衆生・阿弥陀経等の四十余年の経経を堅く執して法華経へうつらざらんとたとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と法華経を


法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり、此の事はただ釈迦一仏の仰なりとも、外道にあらずば疑うべきにてはあらねども已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために宝浄世界の多宝如来は自はるばる来給いて証人とならせ給う、釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して後の法華経へ入らざらむ人人は入阿鼻獄は一定なりと証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各各の国国を捨てて霊山・虚空会に詣で給い宝樹下に坐して広長舌を出し大梵天に付け給うこと無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し、心は四十余年の中の観経・阿弥陀経・悲華経等に法蔵比丘の諸菩薩・四十八願等を発して凡夫を九品の浄土へ来迎せんと説く事は且く法華経已前のやすめ言なり、実には彼れ彼れの経経の文の如く十方西方への来迎はあるべからず実とおもふことなかれ釈迦仏の今説き給うが如し実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり、我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり釈迦仏は天月の如し我等は水中の影の月なり釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり天月動き給はずば我等もうつるべからず此の土に居住して法華経の行者を守護せん事臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く父母の一子を愛するが如くならんと出し給う舌なり、其の時阿弥陀仏の一二の弟子・観音・勢至等は阿弥陀仏の塩梅なり雙翼なり左右の臣なり両目の如し、然而極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが無量義経の時・仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説き給いしかば実とも覚へざりしに阿弥陀仏正く来りて合点し給いしをうち見てさては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞定めてさては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り或は観音品に遊於娑婆世界と申して此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内・南方・補陀落山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ、阿弥陀仏は左右の臣下