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日蓮大聖人・池田大作

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南条兵衛七郎殿御書  (5/6) 大悪魔は貴き僧となり
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国ならば仏法を・もつて・これをやぶるべし、仏の印度にいでて外道をやぶり・まとうか・ぢくほうらんの震旦に来つて道士をせめ・上宮太子・和国に生れて守屋をきりしが如し、仏教においても小乗の弘まれる国をば大乗経をもつてやぶるべし、無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し、権大乗の弘まれる国をば実大乗をもつて・これをやぶるべし、天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し、而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆・皆法華経の機と定りぬ、善人・悪人・有智・無智・皆五十展転の功徳をそなふ、たとへば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如し、而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして珠に似たる石をもつて珠を投させ石をとらせたるなり、止観の五に云く「瓦礫を貴んで明珠なりと申す」は是なり、一切衆生石をにぎりて珠とおもふ、念仏を申して法華経をすてたる是なり、此の事をば申せば還つてはらをたち法華経の行者をのりて・ことに無間の業をますなり是五

但とのはこのぎをきこしめして念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん、法華経をすてて念仏者とならせ給はんは峯の石の谷へころび・空の雨の地におつると・おぼせ大阿鼻地獄疑なし、大通結縁の者の三千塵点劫を・久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故なり、一家の人人・念仏者にてましましげに候いしかばさだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん、我が信じたる事なればそれも道理にては候へども・悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人人なりと・おぼして・大信心を起し御用いあるべからず、大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障るなり、いかに申すとも法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用いあるべからず、まづ御きやうさくあるべし。

念仏実に往生すべき証文つよくば此の十二年が間・念仏者・無間地獄と申すをばいかなるところへ申しいだして


もつめずして候べきか、よくよくゆはき事なり、法然・善導等が・かきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候いき、このごろの人の申すもこれにすぎず、結句は法門はかなわずしてよせてたたかひにし候なり、念仏者は数千万かたうど多く候なり、日蓮は唯一人かたうどは一人もこれなし、今までもいきて候はふかしぎなり、今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉の時・数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にあふものは・わづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ、第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらひ・ぬすみ等にて打はらるる人は多けれども・法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者は・いまだ此の経文にはあわせ給はず唯日蓮一人こそよみはべれ・我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏・一度は法華経となへつ・二心ましまし人の聞にはばかりなんど・だにも候はば・よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ・後にうらみさせ給うな、但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候はば・あはれ・とくとく見参してみづから申しひらかばや、語はふみにつくさず・ふみは心をつくしがたく候へばとどめ候いぬ、恐恐謹言。

  文永元年十二月十三日                日蓮花押

   なんでうの七郎殿


薬王品得意抄

                    文永二年 四十四歳御作

                    与 上野時光妻

此の薬王品の大意とは此の薬王品は第七の巻二十八品の中には第二十三の品なり、此の第一巻に序品方便品の二品有り序品は二十八品の序なり、方便品より人記品に至るまで八品は正には二乗作仏を明し傍には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり、又涌出品は寿量品の序なり、分別功徳品より十二品は正には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を・傍には方便品等の八品を修行す可き様を説くなり、然れば此の薬王品は方便品等の八品並びに寿量品を修行す可き様を説きし品なり。

此の品に十の譬有り、第一大海の譬、先ず第一の譬を粗申す可し、此の南閻浮提に二千五百の河あり、西倶耶尼に五千の河あり総じて此の四天下に二万五千九百の河あり、或は四十里乃至百里・一里・一町・一尋等の河之有り、然りと雖も此の諸河は総じて深浅の事大海に及ばず、法華已前の華厳経・阿含経・方等経・般若経・深密経・阿弥陀経・涅槃経・大日経・金剛頂経・蘇悉地経・密厳経等の釈迦如来の所説の一切経・大日如来の所説の一切経・阿弥陀如来の所説の一切経・薬師如来の所説の一切経・過去・現在・未来三世の諸仏所説の一切経の中に法華経第一なり、譬えば諸経は大河・中河・小河等の如し法華経は大海の如し等と説くなり、河に勝れたる大海に十の徳有り、一に大海は漸次に深し河は爾からず、二に大海は死屍を留めず河は爾らず、三に大海は本の名字を失う河は爾らず、四に大海は一味なり河は爾らず、五に大海は宝等有り河は爾らず、六に大海は極めて深し河は爾らず、七に大海は広大無量なり河は爾らず、八に大海は大身の衆生等有り河は爾らず、九に大海は潮の増減有り河は爾らず、十に大海は大雨・大河を受けて盈溢無し河は爾らず。

此の法華経には十の徳有り諸経には十の失有り、此の経は漸次深多にして五十展転なり諸経には猶一も無し況