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日蓮大聖人・池田大作

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崇峻天皇御書  (2/5) 外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸…
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以ての故に妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり、されば御内の人人には天魔ついて前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために此の病はをこれるか、上は我がかたきとは・をぼさねども一たん・かれらが申す事を用い給いぬるによりて御しよらうの大事になりて・ながしらせ給うか、彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事を・ひきをこして・いかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。

此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきに・ねらはれさせ給いなん・すぐろくの石は二つ並びぬればかけられず車の輪は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をば・いぶせがり候ぞ、いかにとがありとも弟ども且くも身をはなち給うな、殿は一定・腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ・殿の人にあだまれて・をはさば設い仏には・なり給うとも彼等が悦びと云う、此れよりの歎きと申し口惜しかるべし、彼等が・いかにもせんと・はげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせて・をはすれば・外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸は・もふる計りにや有らん、常には彼等に見へぬ様にて古よりも家のこを敬ひ・きうだちまいらせ給いて・をはさんには上の召しありとも且く・つつしむべし、入道殿いかにもならせ給はば彼の人人は・まどひ者になるべきをば・かへりみず、物をぼへぬ心に・とののいよいよ来るを見ては一定ほのをを胸にたきいきをさかさまにつくらん、若しきうだちきり者の女房たち・いかに上の御そろうはと問い申されば、いかなる人にても候へ・膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候を・いかに辞退申せども・ただと仰せ候へば御内の者にて候間・かくて候とてびむをも・かかずひたたれこはからず、さはやかなる小袖・色ある物なんども・きずして且く・ねうじて御覧あれ。


返す返す御心への上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くは・こらふるやうなれども終には・やけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かうの座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずして・はやかちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこひでの船こぼれ又食の後に湯の無きが如し、上よりへやを給いて居して・をはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めて・ねらうらん、又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か・天井なんどをば、あながちに・心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等は・たばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ。

義経はいかにも平家をば・せめおとしがたかりしかども・成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿は・おさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頸を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前・彼の人人いかなる事ありとも・かへりみ給うべし、其の上殿の家へ此の人人・常にかようならば・かたきはよる行きあはじと・をぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとは・よも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかしいかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき・已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く・主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめ・とくとく此の四人かたらひて


日蓮にきかせ給へさるならば強盛に天に申すべし、又殿の故・御父・御母の御事も左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり、定めて釈迦仏の御前に子細候らん。

返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰に火を・たくがごとく・日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ、若しすこしも此の事をたがへさせ給うならば日蓮うらみさせ給うな。

此の世間の疫病は・とののまうすがごとく年帰りなば上へあがりぬと・をぼえ候ぞ、十羅刹の御計いか今且く世にをはして物を御覧あれかし、又世間の・すぎえぬ・やうばし歎いて人に聞かせ給うな、若しさるならば賢人には・はづれたる事なり、若しさるならば妻子があとに・とどまりてはぢを云うとは思はねども、男のわかれのおしさに他人に向いて我が夫のはぢを・みなかたるなり、此れ偏に・かれが失にはあらず我がふるまひのあしかりつる故なり。

人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。

第一秘蔵の物語あり書きてまいらせん、日本始りて国王二人・人に殺され給う、其の一人は崇峻天皇なり、此の王は欽明天皇の御太子・聖徳太子の伯父なり、人王第三十三代の皇にて・をはせしが聖徳太子を召して勅宣下さ