候、日本国の人の日蓮をあだみ候は一切世間の天人の眼をくじる人なり、されば天もいかり日日に天変あり地もいかり月月に地夭かさなる、天の帝釈は野干を敬いて法を習いしかば今の教主釈尊となり給い・雪山童子は鬼を師とせしかば今の三界の主となる、大聖・上人は形を賤みて法を捨てざりけり、今日蓮おろかなりとも野干と鬼とに劣るべからず、当世の人いみじくとも帝釈・雪山童子に勝るべからず、日蓮が身の賤きについて巧言を捨てて候故に国既に亡びんとする・かなしさよ、又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも・たすけがたからん事こそ・なげかしくは覚え候へ。
いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にうえ死にし候はん、又乙御前こそおとなしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん、又又申すべし。
八月四日 日蓮花押
乙御前へ
乙御前母御書
をとごぜんのはは
いまは法華経をしらせ給いて仏にならせ給うべき女人なり、かへすがへすふみものぐさき者なれども・たびたび申す、又御房たちをも・ふびんにあたらせ給うとうけ給わる・申すばかりなし。
なによりも女房のみとして・これまで来りて候いし事・これまで・ながされ候いける事は・さる事にて御心ざしの・あらわるべきにや・ありけんと・ありがたくのみをぼへ候、釈迦如来の御弟子あまた・をわしし・なかに十大弟子
とて十人ましまししが・なかに目犍連尊者と申せし人は神通第一にてをはしき、四天下と申して日月のめぐり給うところをかみすぢ一すぢきらざるにめぐり給いき、これは・いかなるゆへぞと・たづぬれば・せんしやうに千里ありしところを・かよいて仏法を聴聞せしゆへなり、又天台大師の御弟子に章安と申せし人は万里をわけて法華経をきかせ給へり、伝教大師は二千里をすぎて止観をならい・玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり、道のとをきに心ざしのあらわるるにや・かれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたし・いかなる宿善にてやをはすらん、昔女人すいをとをしのびてこそ或は千里をもたづね・石となり・木となり・鳥となり・蛇となれる事もあり。
十一月三日 日蓮在御判
をとごぜんのはは
をとごぜんが・いかに尼となり候いつらん、法華経にみやづかわせ候ほうこうをば・をとごぜんの尼は・のちさいわいになり候に○○○。
辧殿御消息
文永九年七月 五十一歳御作
不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべし。
此の書は随分の秘書なり、已前の学文の時も・いまだ存ぜられざる事・粗之を載す、他人の御聴聞なからん已前
に御存知有るべし、総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか、恐恐謹言。
七月二十六日 日蓮花押
辧殿・大進阿闍梨御房・三位殿
辧殿尼御前御書
文永十年九月 五十二歳御作
与 日昭母妙一
しげければとどむ、辧殿に申す大師講を・をこなうべし・大師とてまいらせて候、三郎左衛門尉殿に候、御文のなかに涅槃経の後分二巻・文句五の本末・授決集の抄の上巻等・御随身あるべし。
貞当は十二年にやぶれぬ・将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、尼ごぜんの一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつかうべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。
九月十九日 日蓮花押
辧殿尼御前に申させ給へ