Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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教行証御書  (7/8) 日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
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華経に付いて不審有りと仰せらるる人わたらせ給はば存じ候なんど云つて、其の後は随問而答の法門申す可し、又前六箇条一一の難門・兼兼申せしが如く日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず、彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時・爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に況や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし。

又彼の律宗の者どもが破戒なる事・山川の頽るるよりも尚無戒なり、成仏までは思もよらず人天の生を受くべしや、妙楽大師云く「若し一戒を持てば人中に生ずることを得若し一戒を破れば還て三途に堕す」と、其の外斎法経・正法念経等の制法・阿含経等の大小乗経の斎法斎戒・今程の律宗忍性が一党誰か一戒を持てる還堕三途は疑無し、若しは無間地獄にや落ちんずらん不便なんど立てて・宝塔品の持戒行者と是を訇しるべし、其の後良有つて此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ、此れを「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり、今末法当世の有智・無智・在家・出家・上下・万人此の妙法蓮華経を持つて説の如く修行せんに豈仏果を得ざらんや、さてこそ決定無有疑とは滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり、三仏の定判に漏れたる権宗の人人は決定して無間なるべし、是くの如くいみじき戒なれば爾前・迹門の諸戒は今一分の功徳なし、功徳無からんに一日の斎戒も無用なり。

但此の本門の戒を弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし、所謂正嘉の地動・文永の長星是なるべし、抑当世の人人何の宗宗にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず、日本人王・


三十代・欽明天皇の御宇に仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ、又已前の重末法には教行証の三つ倶に備われり例せば正法の如し等云云、已に地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし、日本・漢土・万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値えるなるべし、在世四十二年並びに法華経の迹門十四品に之を秘して説かせ給はざりし大法本門正宗に至つて説き顕し給うのみ。

良観房が義に云く彼の良観が・日蓮遠国へ下向と聞く時は諸人に向つて急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其の聞え候、此等も戒法にてや有らん強ち尋ぬ可し、又日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉じて内へ入るべからずと之を制法し或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ、某は日蓮に非ず其の弟子にて候まま少し言のなまり法門の才覚は乱れがはしくとも・律宗国賊替るべからずと云うべし、公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自讃気なる体・人目に見すべからず浅猨しき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。

  三月二十一日                    日蓮花押

   三位阿闍梨御房へ之を遣はす


諸人御返事

三月十九日の和風並びに飛鳥同じく二十一日戌の時到来す、日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか、将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し、所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん、将又一閻浮提皆此の法門を仰がん、幸甚幸甚。

  弘安元年三月二十一日                日蓮花押

   諸人御返事

小蒙古御書

小蒙古の人・大日本国に寄せ来るの事、我が門弟並びに檀那等の中に若し他人に向い将又自ら言語に及ぶ可からず、若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由・存知せる所なり、此の旨を以て人人に示す可く候なり。

  弘安四年太歳辛巳六月十六日           花押

   人人御中