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日蓮大聖人・池田大作

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異体同心事 
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無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

覚乗房はわき房に度度よませてきこしめせ・きこしめせ。

 七月十二日                     日蓮花押

  進上 高橋六郎兵衛入道殿 御返事

異体同心事

白小袖一つあつわたの小袖はわき房のびんぎに鵞目一貫並びにうけ給わる、はわき房さど房等の事あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候、殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ、一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。

其の上貴辺は多年としつもりて奉公・法華経にあつくをはする上・今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし人人も申し候、又かれらも申し候、一一に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。

御文はいそぎ御返事申すべく候ひつれどもたしかなるびんぎ候はでいままで申し候はず、べんあさりがびんぎあまりそうそうにてかきあへず候いき、さては各各としのころ・いかんがとをぼしつる、もうこの事すでにちかづきて候か、我が国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば・日本国の人人いよいよ法


華経を謗して万人無間地獄に堕つべし、かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまいをいやし針治にて人をなをすがごとし、当時はなげくとも後は悦びなり、日蓮は法華経の御使い日本国の人人は大族王の一閻浮提の仏法を失いしがごとし、蒙古国は雪山の下王のごとし天の御使として法華経の行者をあだむ人人を罰せらるるか、又現身に改悔ををこしてあるならば阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ四十年の寿をのべ無根の信と申す位にのぼりて現身に無生忍をえたりしがごとし、恐恐謹言。

  八月六日                      日蓮花押

六郎次郎殿御返事

                    建治三年三月 五十六歳御作

白米三斗油一筩給ひ畢んぬいまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候らん、我則歓喜諸仏亦然は是なり、明日三位房をつかはすべく候、その時委細申すべく候、恐恐。

  建治三年丁丑三月十九日               日蓮花押

    六郎次郎殿

    次郎兵衛殿


減劫御書

減劫と申すは人の心の内に候、貪・瞋・癡の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどに・次第に人のいのちもつづまりせいもちいさくなりもつてまかるなり、漢土・日本国は仏法已前には三皇・五帝・三聖等の外経をもつて民の心をととのへてよをば治めしほどに・次第に人の心はよきことは・はかなく・わるき事は・かしこくなりしかば・外経の智あさきゆへに悪のふかき失をいましめがたし、外経をもつて世をさまらざりしゆへに・やうやく仏経をわたして世間ををさめしかば世をだやかなりき、此れはひとへに仏教のかしこきによつて人民の心をくはしくあかせるなり、当時の外典と申すは本の外経の心にはあらず、仏法のわたりし時は外経と仏経とあらそいしかども・やうやく外経まけて王と民と用いざりしかば・外経のもの内経の所従となりて立ちあうことなくありしほどに・外経の人人・内経の心をぬきて智慧をまし外経に入れて候ををろかなる王は外典のかしこきかとをもう。

又人の心やうやく善の智慧は・はかなく悪の智慧かしこくなりしかば仏経の中にも小乗経の智慧・世間ををさむるに代をさまることなし、其の時大乗経をひろめて代を・をさめしかば・すこし代をさまりぬ、其の後大乗経の智慧及ばざりしかば一乗経の智慧をとりいだして代ををさめしかば・すこししばらく代をさまりぬ、今の代は外経も小乗経も大乗経も一乗法華経等もかなわぬよとなれり、ゆえいかんとなれば衆生の貪・瞋・癡の心のかしこきこと大覚世尊の大善にかしこきがごとし、譬へば犬は鼻のかしこき事人にすぎたり、又鼻の禽獣をかぐことは大聖の鼻通にも・をとらず、ふくろうがみみのかしこき・とびの眼のかしこき・すずめの舌のかろき・りうの身のかしこき・皆かしこき人にもすぐれて候、そのやうに末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚癡のかしこさは・いかなる賢人・聖人