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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事  (2/2) 同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに…
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あはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし、いかなれば他人は五六十までも親と同じしらがなる人もあり、我がわかき身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね。

抑日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども・日本国の上下万人・一同に国のほろぶべきゆへにや用いられざる上・度度あだをなさるれば力をよばず山林にまじはり候いぬ、大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらば・いかになんど・あはれなり、皆人の当時のいきつしまのやうにならせ給はん事・おもひやり候へば・なみだもとまらず。

念仏宗と申すは亡国の悪法なり、このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり、善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ。

禅宗と申し当時の持斎法師等は天魔の所為なり、教外別伝と申して神も仏もなしなんど申すものくるはしき悪法なり。

真言宗と申す宗は本は下劣の経にて候いしを・誑惑して法華経にも勝るなんど申して多くの人人・大師僧正なんどになりて日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶけたり、これが第一の邪事に候を昔より今にいたるまで知る人なし、但伝教大師と申せし人こそしりて候いしかども・くはしくもおほせられず、さては日蓮ほぼこの事をしれり、後白河の法皇の太政の入道にせめられ給いし、隠岐の法王のかまくらにまけさせ給いし事みな真言悪法のゆへなり、漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う、この悪法かまくらに下つて当時かまくらにはやる僧正法印等は是なり、これらの人人このいくさを調伏せば百日たたかふべきは十日につづまり・十日のいくさは一日にせめらるべし。


今始めて申すにあらず二十余年が間・音もをしまずよばはり候いぬるなり、あなかしこ・あなかしこ、この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませて・きこしめせ、人もそしり候へ・ものともおもはぬ法師等なり、恐恐謹言。

  文永十一年太歳甲戌十一月十一日         日蓮花押

   南条七郎次郎殿御返事

春の祝御書

春のいわいわ・すでに事ふり候いぬ、さては故なんでうどのはひさしき事には候はざりしかども・よろず事にふれて・なつかしき心ありしかば・をろかならずをもひしに・よわひ盛んなりしに・はかなかりし事わかれかなしかりしかば・わざとかまくらより・うちくだかり御はかをば見候いぬ、それよりのちはするがのびんにはと・をもひしに・このたびくだしには人にしのびて・これへきたりしかば・にしやまの入道殿にも・しられ候はざりし上は力をよばず・とをりて候いしが心にかかりて候その心をとげんがために・此の御房は正月の内につかわして御はかにて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候、御とのの御かたみもなしなんとなげきて候へば・とのをとどめをかれける事よろこび入つて候、故殿は木のもと・くさむらのかげ・かよう人もなし、仏法をも聴聞せんず・いかにつれづれなるらん、をもひやり候へばなんだもとどまらず、とのの法華経の行者うちぐして御はかにむかわせ給うには、いかにうれしかるらん・いかにうれしかるらん。


上野殿御返事

                    建治元年五月 五十四歳御作

                    与 上野次郎時光

さつきの二日にいものかしら・いしのやうにほされて候を一駄、ふじのうへのより・みのぶの山へをくり給いて候。

仏の御弟子にあなりちと申せし人は天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一・迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり、この人のゆらひをたづねみれば・師子頬王と申せし国王の第二の王子に・こくぼん王と申せし人の御子・釈迦如来のいとこにておはしましき、この人の御名三つ候、一には無貧・二には如意・三にはむれうと申す・一一にふしぎの事候、昔うえたるよにりだそんじやと申せしたうとき辟支仏ありき、うえたるよに七日ときもならざりけるが・山里にれうしの御器に入れて候いける・ひえのはんをこひてならせ給う、このゆへにこのれうし現在には長者となり・のち九十一劫が間・人中・天上にたのしみをうけて・今最後にこくぼん王の太子とむまれさせ給う、金のごきに・はんとこしなへにたえせず・あらかんとならせ給う、御眼に三千大千世界を一時に御らんありていみじくをはせしが・法華経第四の巻にして普明如来と成るべきよし仏に仰せをかほらせ給いき、妙楽大師此の事を釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し、及び田勝るるを以ての故に故に勝報を得る」と云云、釈の心かろきひえのはんなれども・此れよりほかには・もたざりしを・たうとき人のうえておはせしに・まいらせてありしゆへに・かかるめでたき人となれりと云云。

此の身のぶのさわは石なんどはおほく候・されども・かかるものなし、その上夏のころなれば民のいとまも候はじ、又御造営と申しさこそ候らんに・山里の事を・をもひやらせ給いて・をくりたびて候、所詮はわがをやのわか