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日蓮大聖人・池田大作

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最蓮房御返事  (3/4) 何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め…
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には伊豆の国に流され・文永には佐渡嶋に流され・或は竜口の頸の座等此の外種種の難数を知らず、経文の如くならば予は正師なり善師なり・諸宗の学者は悉く邪師なり悪師なりと覚し食し候へ、此の外善悪二師を分別する経論の文等是れ広く候へども・兼て御存知の上は申すに及ばず候。

只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候、我等が本師釈迦如来法華経を説かんが為に出世ましませしには・他方の仏・菩薩等・来臨影響して釈尊の行化を助け給う、されば釈迦・多宝十方の諸仏等の御使として来つて化を日域に示し給うにもやあるらん、経に云く「我於余国遣化人・為其集聴法衆・亦遣化随順不逆」此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり、其の故は聞法信受・随順不逆・眼前なり争か之を疑い奉るべきや、設い又在在諸仏土・常与師倶生の人なりとも・三周の声聞の如く下種の後に・退大取小して五道・六道に沈輪し給いしが・成仏の期・来至して順次に得脱せしむべきゆへにや、念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて日蓮が弟子となり給うらん有り難き事なり。

何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて・順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか・無かりけるか・又釈尊の御使として来つて化し給へるか・さぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にも・はげませ給へ・はげませ給へ。

何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者なり、此の受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん、若し今生妙覚ならば後生豈・等覚等の因分ならんや、実に無始曠劫の契約・常与師倶生の理ならば・日蓮・今度成仏せんに貴辺豈相離れて悪趣に堕在したもう可きや、如来の記文仏意の辺に於ては世出世に就いて更に妄語無し、然るに法華


経には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」或は「速為疾得・無上仏道」等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば・諸仏の御舌もきれ・多宝の塔も破れ落ち・二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり・方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし、争か・さる事候べきや・あらたのもしや・たのもしや・是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。

大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久からず過ぐる時刻も程あらず、例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時・五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。

余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、恐恐謹言。

  四月十三日                     日蓮花押

   最蓮房御返事


祈祷抄

                    文永九年 五十一歳御作

                    本朝沙門 日蓮撰

問うて云く華厳宗・法相宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈をなさんにいづれかしるしあるべきや、答て云く仏説なればいづれも一往は祈となるべし、但法華経をもつていのらむ祈は必ず祈となるべし、問うて云く其の所以は如何、答えて云く二乗は大地微塵劫を経て先四味の経を行ずとも成仏すべからず、法華経は須臾の間此れを聞いて仏になれり、若爾らば舎利弗・迦葉等の千二百・万二千総じて一切の二乗界の仏は必ず法華経の行者の祈をかなふべし、又行者の苦にもかわるべし、故に信解品に云く「世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教化して我等を利益し給う無量億劫にも誰れか能く報ずる者あらん、手足をもて供給し頭頂をもつて礼敬し一切をもつて供養すとも皆報ずること能わず、若しは以て頂戴し両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽して恭敬し、又美膳無量の宝衣及び諸の臥具種種の湯薬を以てし牛頭栴檀及び諸の珍宝以つて塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如き等の事もつて供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云、此の経文は四大声聞が譬喩品を聴聞して仏になるべき由を心得て、仏と法華経の恩の報じがたき事を説けり、されば二乗の御為には此の経を行ずる者をば父母よりも愛子よりも両眼よりも身命よりも大事にこそおぼしめすらめ、舎利弗・目連等の諸大声聞は一代聖教いづれも讃歎せん行者を・すておぼす事は有るべからずとは思へども・爾前の諸経は・すこし・うらみおぼす事も有らん「於仏法中已如敗種」なんど・したたかにいましめられ給いし故なり、今の華光如来・名相如来・普明如来なんどならせ給いたる事は・おもはざる外の幸なり、例せば崑崙山のくづれて宝の山に入りたる心地してこそ・おはしぬらめ、されば領解の文に云く「無上宝珠不求自得等」云云。