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日蓮大聖人・池田大作

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千日尼御前御返事  (5/6) 国主に讒言して伊豆の国へながせし上・又佐渡…
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又佐渡の国へながされぬ。

ここに日蓮願つて云く日蓮は全く悞なし・設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は・すてがたかるべし、何に況や法華経のままに申す、而るを一切の女人等・信ぜずば・さでこそ有るべきに・かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵・釈・四天等いかに計らい給うぞ、日蓮僻事ならば其の義を示し給へ、ことには日月天は眼前の境界なり、又仏前にしてきかせ給える上・法華経の行者をあだまんものをば「頭破れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へば・いかんが候べきと・日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり、他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに・両方の人あまた死ぬべきに・天の御計らいとして・まづ民を滅ぼして人の手足を切るがごとくして大事の合戦なくして・此の国の王臣等をせめかたぶけて法華経の御敵を滅ぼして正法を弘通せんとなり。

而るに日蓮・佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ・万民は其の命に随う、念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりも・いかにもして此れへ・わたらぬやう計ると申しつかわし・極楽寺の良観房等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮を・あだみなんと・せしかば・いかにも命たすかるべきやうは・なかりしに・天の御計らいは・さてをきぬ、地頭・地頭・念仏者・念仏者等・日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるを・まどわさんと・せめしに・阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生れかわりて有るか。

漢土に沛公と申せし人・王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く沛公打ちて・まいらせん者には不次の賞を行うべし、沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日・二七日なんど有るなり、其の時命すでに・をわりぬべかりしに沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時命をたすけしが彼は妻なればなさけすてがたし、此


れは後世ををぼせずば・なにしにか・かくは・おはすべき、又其の故に或は所ををい或はくわれうをひき或は宅を・とられなんどせしに・ついに・とをらせ給いぬ、法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわ・みへて候へ、されば十万億供養の女人なり、其の上・人は見る眼の前には心ざし有りとも・さしはなれぬれば・心はわすれずとも・さでこそ候に去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間・此の山中に候に佐渡の国より三度まで夫をつかはす、いくらほどの御心ざしぞ大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし、釈迦如来は我が薩埵王子たりし時うへたる虎に身をかいし功徳・尸毘王とありし時・鳩のために身をかへし功徳をば我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人に・ゆづらむとこそ多宝・十方の仏の御前にては申させ給いしか。

其の上御消息に云く尼が父の十三年は来る八月十一日又云くぜに一貫もん等云云、あまりの御心ざしの切に候へば・ありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候、日蓮がこいしく・をはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし、此の御経を・しるしとして後生には御たづねあるべし、抑去年今年のありさまは・いかにか・ならせ給いぬらむと・をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれども・いまだいぶかしく候いつるに七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて・尼ごぜんは・いかに・こう入道殿はいかにと・まづといて候いつれば・いまだやまず、こう入道殿は同道にて候いつるが・わせは・すでに・ちかづきぬ・こわなし・いかんがせんとて・かへられ候いつると・かたり候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる・死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの・夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし、あわれあわれふしぎなる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人は・すくなく候、同じ船にて候へば・いづれもたすかるべしとも・をぼへず候いつるに・ふねやぶれて・たすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかと・こそ不思議がり候へ。

さわの入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさえ給え、ただし入道の事は申し切り候いしかば・をもい合


せ給うらむ、いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをば・たすけ給うべからず、かえりて阿弥陀仏の御かたきなり後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。

ただし入道の堂のらうにていのちをたびたびたすけられたりし事こそ・いかに・すべしとも・をぼへ候はね、学乗房をもつてはかにつねづね法華経を・よませ給えと・かたらせ給え、それも叶うべしとはをぼえず、さても尼のいかに・たよりなかるらむと・なげくと申しつたへさせ給い候へ、又又申すべし。

  七月二十八日                    日蓮花押

   佐渡国府阿仏房尼御前

千日尼御前御返事

                    弘安元年十月十九日 五十七歳御作

                    与 阿仏房尼

青鳧一貫文・干飯一斗・種種の物給い候い了んぬ、仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、仏に漿を・まひらせし老女は辟支仏と生れたり、法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり、故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種の身は方等より生ず」等云云、方等とは月氏の語・漢土には大乗と翻ず・大乗と申すは法華経の名なり、阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり、法華経に勝れたる経なき故に一大