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日蓮大聖人・池田大作

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曾谷殿御返事  (6/6) 三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき…
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真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す、此の人・金剛頂経・蘇悉地経の二部の疏をつくりて前唐院と申す寺を叡山に申し立て畢んぬ、此れには大日経第一・法華経第二・其の中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむに・せうせう申し畢んぬ、智証大師又此の大師のあとをついで・をんじやう寺に弘通せり、たうじ寺とて国のわざはいとみゆる寺是なり、叡山の三千人は慈覚・智証をはせずば真言すぐれたりと申すをば・もちいぬ人もありなん、円仁大師に一切の諸人くちをふさがれ心をたぼらかされて・ことばをいだす人なし、王臣の御きえも又伝教・弘法にも超過してみへ候へば・えい山・七寺・日本一州・一同に法華経は大日経にをとりと云云、法華経の弘通の寺寺ごとに真言ひろまりて法華経のかしらとなれり、かくのごとくしてすでに四百余年になり候いぬ、やうやく此の邪見ぞうじやうして八十一乃至五の五王すでにうせぬ仏法うせしかば王法すでにつき畢んぬ。

あまつさへ禅宗と申す大邪法・念仏宗と申す小邪法・真言と申す大悪法・此の悪宗はなをならべて一国にさかんなり、天照太神はたましいをうしなつて・うぢごをまほらず八幡大菩薩は威力よはくして国を守護せず・けつくは他国の物とならむとす、日蓮此のよしを見るゆへに仏法中怨・倶堕地獄等のせめをおそれて粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給う事なし還つて大怨敵となり給いぬ法華経をうしなふ人・国中に充満せりと申せども人しる事なければただぐちのとがばかりにてある事今は又法華経の行者出来せり日本国の人人癡の上にいかりををこす邪法をあいし正法をにくむ、三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき、壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり、又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり、飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚よりをこる、今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人の男女人人ことなれども同じく一の三毒なり、所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのりせめ流しうしなうなり、是れ即ち小の三災の序なり。


しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿しうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん、是をもつてをぼしめせ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし、白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし。

抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊も・うれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや、故大進阿闍梨の事なげかしく候へども此れ又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし、事事命ながらへば其の時申すべし。

  弘安二年己卯八月十七日               日蓮花押

   曾谷道宗御返事

曾谷二郎入道殿御返事

                    弘安四年七月 六十歳御作

                    日蓮

去る七月十九日の消息同卅日到来す、世間の事は且らく之を置く専ら仏法に逆うこと、法華経の第二に云く「其人命終入阿鼻獄」等云云、問うて云く其の人とは何等の人を指すや、答えて云く次上に云く「唯我一人・能為救護・雖復教詔・而不信受」と、又云く「若人不信」と、又云く「或復顰蹙」又云く「見有読誦書持経者・軽賤憎


嫉・而懐結恨」と、又第五に云く「生疑不信者・即当堕悪道」と、第八に云く「若有人軽毀之言・汝狂人耳・空作是行終無所獲」等云云、其人とは此れ等の人人を指すなり、彼の震旦国の天台大師は南北十師等を指すなり、此の日本国の伝教大師は六宗の人人と定めたるなり、今日蓮は弘法・慈覚・智証等の三大師・並びに三階・道綽・善導等を指して其の人と云うなり、入阿鼻獄とは涅槃経第十九に云く「仮使い一人独り是の獄に堕ち其の身長大にして八万由延なり其の中間に徧満して空しき処無し、其の身周匝して種種の苦を受く設い多人有つて身亦徧満すとも相い妨碍せず」同三十六に云く「沈没して阿鼻地獄に在つて受くる所の身形・縦広八万四千由旬ならん」等云云、普賢経に云く「方等経を謗ずる是の大悪報悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎ必定して当に阿鼻地獄に堕つべし」等とは阿鼻獄に入る文なり。

日蓮云く夫れ日本国は道は七・国は六十八箇国・郡は六百四・郷は一万余・長さは三千五百八十七里・人数は四十五億八万九千六百五十九人・或は云く四十九億九万四千八百二十八人なり、寺は一万一千三十七所・社は三千一百三十二社なり、今法華経の入阿鼻獄とは此れ等の人人を指すなり、問うて云く衆生に於て悪人・善人の二類有り、生処も又善悪の二道有る可し、何ぞ日本国の一切衆生一同に入阿鼻獄の者と定むるや、答えて云く人数多しと雖も業を造ること是れ一なり、故に同じく阿鼻獄と定むるなり。

疑つて云く日本国の一切衆生の中に或は善人或は悪人あり善人とは五戒・十戒・乃至二百五十戒等なり、悪人とは殺生・偸盗・乃至五逆・十悪等是なり、何ぞ一業と云うや、答えて云く夫れ小善・小悪は異なりと雖も法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者倶に妨げ之れ無し是の故に同じく入阿鼻獄と云うなり、問うて云く何を以てか日本国の一切衆生を一同に法華誹謗の者と言うや、答えて云く日本国の一切衆生衆多なりと雖も四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず、此等の人人・貴賤上下の勝劣有りと雖も是くの如きの人人の憑む所は唯三大師に在り