Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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法華取要抄  (3/7) 結縁は生の如く成熟は養の如し生養縁異れば父…
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の如し生養縁異れば父子成ぜず」等云云、当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し、又果位を以て之を論ずれば諸仏如来或は十劫・百劫・千劫已来の過去の仏なり、教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり、天月の万水に浮ぶ是なり、華厳経の十方台上の毘盧遮那・大日経・金剛頂経・両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり、此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり不孝の失に依つて今に覚知せずと雖も他方の衆生には似る可からず、有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く無縁の仏と衆生とは譬えば聾者の雷の声を聞き盲者の日月に向うが如し、而るに或る人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀は有縁なり、或る人師の云く小乗の釈尊と或は華厳経の釈尊と或は法華経迹門の釈尊と此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは例せば阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し釈尊に背いて提婆達多に付きしが如し、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり、善導・法然・永観等の提婆達多に誑されて阿弥陀仏の日と定め畢んぬ、四月八日は世尊御誕生の日なり薬師仏に取り畢んぬ、我が慈父の忌日を他仏に替るは孝養の者なるか如何、寿量品に云く「我も亦為れ世の父・狂子を治する為の故に」等云云、天台大師云く「本此の仏に従つて初めて道心を発す亦此の仏に従つて不退地に住す乃至猶百川の海に潮すべきが如く縁に牽かれて応生すること亦復是くの如し」等云云。

問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍な


り、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云、問うて曰く自讃は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり、問うて曰く本門の心如何、答えて曰く本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。

問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり、疑つて云く此の法門前代に未だ之を聞かず経文に之れ有りや、答えて曰く予が智前賢に超えず設い経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん卞和が啼泣・伍子胥が悲傷是なり、然りと雖も略開近顕遠・動執生疑の文に云く「然も諸の新発意の菩薩・仏の滅後に於て若し是の語を


聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」等云云、文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり、寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云、薬王品に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、涅槃経に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し」等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。

疑つて云く多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出此等は誰人の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗・目犍等は現在を以て之を論ずれば智慧第一・神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏・青竜陀仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏・現在の応生なり、梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖なり、其の上前四味・四教・一言に之を覚りぬ・仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し誰人の疑を晴さんが為に多宝仏の証明を借り諸仏舌を出し地涌の菩薩を召さんや方方以て謂れ無き事なり、経文に随つて「況滅度後・令法久住」等云云、此等の経文を以て之を案ずるに偏に我等が為なり、随つて天台大師当世を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」伝教大師当世を記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有