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日蓮大聖人・池田大作

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聖密房御書  (3/4) 問うて云わく法師一人此の悪言をはく如何
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は印・真言なけれども二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり、大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし、二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり、四十余年の経経には二乗は敗種の人と一字二字ならず無量無辺の経経に嫌はれ、法華経には・これを破して二乗作仏を宣べたり、いづれの経経にか印・真言を嫌うことばあるや、その言なければ又大日経にも其の名を嫌はず但印・真言をとけり、印と申すは手の用なり手・仏にならずは手の印・仏になるべしや、真言と申すは口の用なり口・仏にならずば口の真言・仏になるべしや、二乗の三業は法華経に値いたてまつらずは無量劫・千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず、勝れたる二乗作仏の事法をば・とかずと申して劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは理によれば盗人なり事によれば劣謂勝見の外道なり、此の失によりて閻魔の責めをば・かほりし人なり、後にくいかへして天台大師を仰いで法華にうつりて悪道をば脱れしなり。

久遠実成なんどは大日経にはをもひもよらず、久遠実成は一切の仏の本地・譬へば大海は久遠実成・魚鳥は千二百余尊なり、久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし夜の露の日輪の出でざる程なるべし、天台宗の人人この事を弁へずして真言師にたぼらかされたり、真言師は又自宗の誤をしらず・いたづらに悪道の邪念をつみをく、空海和尚は此の理を弁へざる上・華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて法華経は猶華厳経にをとれりと僻見せり、亀毛の長短・兎角の有無・亀の甲には毛なしなんぞ長短をあらそい兎の頭には角なし・なんの有無を論ぜん、理同と申す人いまだ閻魔のせめを脱れず、大日経に劣る華厳経に猶劣ると申す人・謗法を脱るべしや、人は・かはれども其の謗法の義同じかるべし、弘法の第一の御弟子かきのもときの僧正・紺青鬼となりし・これをもつてしるべし、空海悔改なくば悪道疑うべしともをぼへず其の流をうけたる人人又いかん。

問うて云わく法師一人此の悪言をはく如何、答えて云く日蓮は此の人人を難ずるにはあらず但不審する計りな


り、いかりをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎・成実・律宗なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒・定・慧の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧をさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじをうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正くのせられて真言宗の名をけづられたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有の一分か、華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし、経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とおぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし、上の問答等は当時は世すえになりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆ


る事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん、不便にをもひ・まいらすれば目安に注せり、御ひまにはならはせ給うべし。

これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし。

  聖密房に之を遣わす                 日蓮花押

華果成就御書

                    弘安元年四月 五十七歳御作

                    与 浄顕房・義浄房 於身延

其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、さては建治の比・故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候、たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎ・かくればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず、日蓮・法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや、日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、一名上行乃至四名安立行菩薩云云、末法には上行・出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか、さればいねは華果成就すれども必ず米の精・大地にをさまる、故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり、日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候、常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ、経に云く「衆に三毒有ることを示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して