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日蓮大聖人・池田大作

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妙法比丘尼御返事  (9/13) 十羅刹の人の身に入りかはりて思いよらせ給う…
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して居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり、彼の蘇武が胡国に・とめられて十九年が間・蓑をき雪を食としてありしが如し。

今又此山に五箇年あり、北は身延山と申して天にはしだて・南は・たかとりと申して鶏足山の如し、西はなないたがれと申して鉄門に似たり・東は天子がたけと申して富士の御山にたいしたり、四の山は屏風の如し、北に大河あり早河と名づく早き事・箭をいるが如し、南に河あり波木井河と名づく大石を木の葉の如く流す、東には富士河北より南へ流れたりせんのほこをつくが如し内に滝あり身延の滝と申す白布を天より引くが如し此の内に狭小の地あり日蓮が庵室なり深山なれば昼も日を見奉らず夜も月を詠むる事なし峯にははかうの猨かまびすしく谷には波の下る音鼓を打つがごとし地にはしかざれども大石多く山には瓦礫より外には物もなし国主はにくみ給ふ万民はとぶらはず冬は雪道を塞ぎ夏は草をひしげり鹿の遠音うらめしく蝉の鳴く声かまびすし訪う人なければ命もつぎがたしはだへをかくす衣も候はざりつるにかかる衣ををくらせ給えるこそいかにとも申すばかりなく候へ。

見し人聞きし人だにも・あはれとも申さず、年比なれし弟子・つかへし下人だにも皆にげ失とぶらはざるに聞きもせず見もせぬ人の御志哀なり、偏に是れ別れし我が父母の生れかはらせ給いけるか、十羅刹の人の身に入りかはりて思いよらせ給うか、唐の代宗皇帝の代に蓬子将軍と申せし人の御子・李如暹将軍と申せし人勅定を蒙りて北の胡地を責めし程に、我が勢数十万騎は打ち取られ胡国に生け取られて四十年漸くへし程に、妻をかたらひ子をまうけたり、胡地の習い生取をば皮の衣を服せ毛帯をかけさせて候が、只正月一日計り唐の衣冠をゆるす、一年ごとに漢土を恋いて肝をきり涙をながす、而る程に唐の軍おこりて唐の兵・胡地をせめし時・ひまをえて胡地の妻子をふりすてて・にげしかば、唐の兵は胡地の・えびすとて捕へて頸をきらんとせし程に、とかうして徳宗皇帝


にまいらせてありしかば、いかに申せども聞も・ほどかせ給はずして・南の国・呉越と申す方へ流されぬ、李如暹歎いて云く進ては涼原の本郷を見ることを得ず退ては胡地の妻子に逢ふことを得ず云云、此の心は胡地の妻子をもすて又唐の古き栖をも見ず・あらぬ国に流されたりと歎くなり、我が身には大忠ありしかどもかかる歎きあり。

日蓮も又此くの如し日本国を助けばやと思う心に依りて申し出す程に、我が生れし国をも・せかれ又流されし国をも離れぬ、すでに此の深山にこもりて候が彼の李如暹に似て候なり、但し本郷にも流されし処にも妻子なければ歎く事はよもあらじ、唯父母のはかと・なれし人人のいかが・なるらんと・おぼつかなしとも申す計りなし、但うれしき事は武士の習ひ君の御為に宇治勢多を渡し前を・かけなんどして・ありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし、日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をおひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頸に及べり、是れ偏に法華経の御為なり、法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後・後の五百歳・二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし、我れ又因位の難行・苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う取意。

されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞・優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給いしかば終には仏となり給う、昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり、それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の人人は観経・阿弥陀経等の数千の経・一切の仏名・阿弥陀念仏を申し法華経を昼夜に読みしかども、実の法華経の行者をあだみしかば法華経・念仏戒等も助け給はず千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕うる事やつこの主に随うがごとく有りしかども


無間地獄をまぬかれず、今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し、此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし・杖木瓦石はありしかども疵をかほり頸までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間・ひまなし疵をかほり流罪・頸に及ぶ、弟子等は或は所領を召され或はろうに入れ或は遠流し或は其の内を出だし或は田畠を奪ひなんどする事・夜打・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者よりもはげしく行はる、此れ又偏に真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴なり、されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す、天は八万四千の星・瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其の上日月・大に変多し仏滅後既に二千二百二十七年になり候に・大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頸を切り・武宗皇帝の漢土の寺を失ひ仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき・僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も是れ程の彗星大地震はいまだなし、彼には百千万倍過ぎて候大悪にてこそ候いぬれ、彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし、又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず、是は一向に法華経の敵・王・一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり、譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち・五体ふるひ・面に炎あがりかほは朱をさしたるが如し眼まろになりてねこの眼のねづみをみるが如し、手わななきてかしわの葉を風の吹くに似たりかたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず。

日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴をふるにくびをどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす、是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と弘法慈覚達磨等の皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給い