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日蓮大聖人・池田大作

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災難対治抄  (8/8) 速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の…
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無く六親不和にして天神祐けず疾疫悪鬼日に来りて侵害し災怪首尾し連禍せん」と、涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば若は臨終の時或は荒乱に値い刀兵競い起り帝王の暴虐・怨家の讎隙に侵逼せられん」已上、順次生業は法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、仁王経に云く「人仏教を壊らば死して地獄餓鬼畜生に入らん」已上、順後業等は之を略す。

問うて曰く如何にして速かに此の災難を留む可きや、答えて曰く速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり、問うて曰く如何が対治す可き、答えて曰く治方亦経に之有り涅槃経に曰く仏言く唯一人を除いて余の一切に施せ正法を誹謗して是の重業を造る唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余の者に施さば一切讃歎すべし已上、此の文の如んば施を留めて対治す可しと見えたり此の外にも亦治方是れ多く具に出すに暇あらず、問うて曰く謗法の者に於て供養を留め苦治を加うるは罪有りや不や、答えて曰く涅槃経に云く、今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし尚罪有ること無けん已上

問うて曰く汝僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや、答えて曰く涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」已上、予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す、此の道理を聞き解く道俗の中に少少は廻心の者有り若し一度高覧を経ん人は上に挙ぐる所の如く之を行ぜずんば大集経の文の若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん乃至命終して大地獄に生ぜんとの記文を免かれ難きか、仁王経に云く「若し王の福尽きん時は七難必ず起らん」と、此の文に


云く「無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失す」等と云云、此の文を見るに且く万事を閣いて先ず此の災難の起る由を勘う可きか若し爾からざれば弥亦重ねて災難起る可きか、愚勘是くの如し取捨は人の意に任す。

念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状

                  正元元年 三十八歳御作

夫れ以みれば仏法流布の砌には天下静謐なり神明仰崇の界には国土豊饒なり、之に依つて月氏より日域に覃んで君王より人民に至るまで此の義改むること無き職として然り。

爰に後鳥羽院の御宇に源空法師と云う者あり道俗を欺くが故に専修を興して顕密の教理を破し男女を誑かすが故に邪義を構えて仏神の威光を滅し常に四衆を誘うて云く、浄土三部の外は衆経を棄置すべし唱名一行の外は余行を廃退すべし矧んや神祗冥道の恭敬に於ておや況や孝養報恩の事善に於ておや之を信ぜざる者は本願を疑うなりと、爰に頑愚の類は甚深の妙典を軽慢し無智の族は神明の威徳を蔑如す、就中止観・遮那の学窓に臨む者は出離を抑ゆる癡人なり三論・法相の稽古を励む者は菩提を塞ぐ誑人なりと云云。

之に依つて仏法・日に衰え迷執・月に増す然る間・南都北嶺の明徳・奏聞を経て天聴に達するの刻・源空が過咎遁れ難きの間・遠流の宣を蒙むり配所の境に赴き畢んぬ、其の後門徒猶勅命を憚からずして弥専修を興すること殆ど先代に超えたり違勅の至り責めても余り有り故に重ねて専修を停廃し源空の門徒を流罪すべきの由・綸言頻に下る又関東の御下知・勅宣に相添う。

門葉等は遁るべきの術を失い或は山林に流浪し或は遠国に逃隠す、爾してより華夷・称名を抛ちて男女・正説に帰する者なり然るに又近来先規を弁えざるの輩・仏神を崇めざるの類・再び専修の行を企て猶邪悪を増すこと甚し。


日蓮不肖なりと雖も且は天下の安寧を思うが為・且は仏法の繁昌を致さんが為に強ちに先賢の語を宣説し称名の行を停廃せんと欲し又愚懐の勘文を添え頗る邪人の慢幢を倒さんとす、勘注の文繁くして見難し知り易からしめんが為に要を取り諸を省き略して五篇を列ぬ、委細の旨は広本に在くのみ。

奏状篇詮を取りて之を注す委くは広本に在り

南都の奏状に云く。

一、謗人謗法の事

右源空・顕密の諸宗を軽んずること土の如く沙の如く智行の高位を蔑ろにすること蟻の如く螻の如し、常に自讃して曰く広く一代聖教を見て知れるは我なり能く八宗の精微を解する者は我なり我諸行を捨つ況や余人に於ておやと、愚癡の道・俗・之を仰ぐこと仏の如く弟子の偏執遙に其の師に超え檀那の邪見弥本説に倍し一天四海漸く以て徧し事の奇特を聞くに驚かずんば有る可からず其の中殊に法華の修行を以て専修の讐敵となす、或は此の経を読む者は皆地獄に堕すと云い或は其の行を修せん者は永く生死に留まると云い或は僅に仏道の結縁を許し或は都て浄土の正因を嫌う、然る間・本八軸十軸の文を誦し千部万部の功を積める者も永く以て廃退し剰え前非を悔ゆ、捨つる所の本行の宿習は実に深く企つる所の念仏の薫習は未だ積まず中途に天を仰いで歎息する者多し、此の外・般若・華厳の帰依・真言・止観の結縁・十の八九皆棄置す之を略す

一、霊神を蔑如する事

右我が朝は本是れ神国なり百王彼の苗裔を承けて四海其の加護を仰ぐ、而るに専修の輩永く神明を別えず権化・実類を論ぜず宗廟・祖社を恐れず若し神明を憑まば魔界に堕すと云云。

実類の鬼神に於ては置いて論ぜざるか権化の垂迹に至つては既に是れ大聖なり、上代の高僧皆以て帰伏す行教