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日蓮大聖人・池田大作

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富士一跡門徒存知の事  (5/9) 因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道…
1605

駿河国西山由井某に賜る、正本日興に上中二巻之れ在り此中に面目俄に開く事下巻に於いては日昭が許に之在り。

一、下山抄一巻。

甲斐の国・下山郷の兵庫五郎光基の氏寺・平泉寺の住僧因幡房日永追い出さるる時の述作なり、直に御自筆を以て遣さる、正本の在所を知らず。

一、観心本尊抄一巻。

一、取要抄一巻。

一、四信五品抄一巻。法門不審の条条申すに付いての御返事なり仍つて彼の進状を奥に之を書く。

已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り。

一、本尊問答抄一巻。

一、唱題目抄一巻。

此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う、仍つて文言義理共に爾なり。

一、御筆抄に法華本門の四字を加う、故に御書に之無しと雖も日興今義に従つて之を置く、先例無きに非ざるか。

一、本尊の事四箇条

一、五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可しとて既に立てたり、随つて弟子檀那等の中にも造立供養の御書之れ在りと云云、而る間・盛に堂舎を造り或は一躰を安置し或は普賢文殊を脇士とす、仍つて聖人御


筆の本尊に於ては彼の仏像の後面に懸け奉り又は堂舎の廊に之を捨て置く。

日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり。

一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賤する間・多分は以て失せ畢んぬ。

日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。

一、日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賤する由・諸方に其の聞え有り所謂日向・日頂・日春等なり。

日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。

本尊人数等又追放人等、頸切られ、死を致す人等。


一、本門寺を建つ可き在所の事。

五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師・何の国・何の所とも之を定め置かれずと。

爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由・奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。

一、王城の事。

右、王城に於ては殊に勝地を撰ぶ可きなり、就中仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか、仍つて南都七大寺・北京比叡山・先蹤之同じ後代改まらず、然れば駿河の国・富士山は広博の地なり一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺と王城と一所なるべき由・且は往古の佳例なり且は日蓮大聖人の本願の所なり。

一、日興集むる所の証文の事。

御書の中に引用せらるる・若は経論書釈の文・若は内外典籍伝の文等、或は大綱・随義転用し或は粗意を取つて述用し給えり、之に依つて日興散引の諸文典籍等を集めて次第に証拠を勘校す、其の功未だ終らず且らく集むる所なり。

一内外論の要文上下二巻開目抄の意に依つて之を撰ぶ。