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日蓮大聖人・池田大作

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四十九院申状 
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四十九院申状

駿河の国蒲原の庄・四十九院の供僧等謹んで申す。

寺務・二位律師厳誉の為に日興並に日持・承賢・賢秀等・所学の法華宗を以て外道大邪教と称し往古の住坊並に田畠を奪い取り寺内を追い出さしむる謂れ無き子細の事。

右釈迦一代教の中には天台を以て宗匠と為す、如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり、上一人より下万民に至るまで帰敬年旧り渇仰日に新なり。

而るに厳誉の状に云く「四十九院の内・日蓮が弟子等居住せしむるの由・其の聞え有り、彼の党類仏法を学し乍ら外道の教に同じ正見を改めて邪義の旨に住せしむ以ての外の次第なり、大衆等評定せしめ寺内に住せしむべからざるの由の所に候なり」云云。

茲に因つて日興等忽に年来の住坊を追い出され已に御祈祷便宜の学道を失う、法華の正義を以て外道の邪教と称するは何の経・何れの論文ぞや、諸経多しと雖も未だ両眼に触れず法華の中に諸経を破るの文之有りと雖も諸経の裏に法華を破るの文全く之無し、所詮已今当の三説を以て教法の方便を破摧するは更に日蓮聖人の莠言に非ず皆是れ釈尊出世の金口なり。

爰に真言及び諸宗の人師等・大小乗の浅深を弁えず権実教の雑乱を知らず、或は勝を以て劣と称し或は権を以て実と号し意樹に任せて砂草を造る、仍て愚癡の輩・短才の族・経経顕然の正説を伺わず徒に師資相伝の口決を信じ秘密の法力を行ずと雖も真実の験証無し、天地之が為に妖蘗を示し国土之が為に災難多し、是れ併ら仏法


の邪正を糺さず僧侶の賢愚を撰ばざる故なり、夫れ仏法は王法の崇尊に依つて威を増し王法は仏法の擁護に依つて長久す、正法を学ぶの僧を以て外道と称せらるるの条理豈然る可けんや外道か外道に非ざるか早く厳誉律師と召し合わせられ真偽を糺されんと欲す。

且去る文応年中・師匠日蓮聖人・仏法の廃れたるを見・未来の災を鑒み諸経の文を勘え一巻の書を造る立正安国論と号す、異国の来難果して以て符合し畢んぬ未萠を知るを聖と謂つ可きか、大覚世尊・霊山・虚空・二処・三会・二門・八年の間・三重の秘法を説き窮むと雖も仏滅後二千二百二十余年の間・月氏の迦葉・阿難・竜樹・天親等の大論師・漢土の天台・妙楽・日本の伝教大師等・内には之を知ると雖も外に之を伝えず第三の秘法今に残す所なり、是偏に末法闘諍の始・他国来難の刻・一閻浮提の中の大合戦起らんの時・国主此の法を用いて兵乱に勝つ可きの秘術なり、経文赫赫たり所説明明たり、彼れと云い此れと云い国の為・世の為・尤も尋ね聞し食さるべき者なり、仍て款状を勒して各言上件の如し。

                              承 賢

                              賢 秀

   弘安元年三月  日                  日 持

                              日 興

滝泉寺申状

                 弘安二年十月 五十八歳御代作

駿河の国・富士下方滝泉寺の大衆・越後房日弁・下野房日秀等謹んで弁言す。


当寺院主代・平左近入道行智・条条の自科を塞ぎ遮らんが為に不実の濫訴を致す謂れ無き事。

訴状に云く日秀・日弁・日蓮房の弟子と号し法華経より外の余経或は真言の行人は皆以て今世後世叶う可からざるの由・之を申す云云取意

此の条は日弁等の本師日蓮聖人・去る正嘉以来の大彗星大地動等を観見し一切経を勘えて云く当時日本国の体たらく権小に執著し実経を失没せるの故に当に前代未有の二難を起すべし所謂自界叛逆難・他国侵逼難なり、仍て治国の故を思い兼日彼の大災難を対治せらる可きの由、去る文応年中・一巻の書を上表す立正安国論と号す勘え申す所皆以て符合す既に金口の未来記に同じ宛も声と響との如し、外書に云く「未萠を知るは聖人なり」内典に云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を知る」云云、之を以て之を思うに本師は豈聖人なるかな巧匠内に在り国宝外に求む可からず、外書に云く「隣国に聖人有るは敵国の憂なり」云云、内経に云く「国に聖人有れば天必ず守護す」云云、外書に云く「世必ず聖智の君有り而して復賢明の臣有り」云云、此の本文を見るに聖人・国に在るは日本国の大喜にして蒙古国の大憂なり諸竜を駆り催して敵舟を海に沈め梵釈に仰せ付けて蒙王を召し取るべし、君既に賢人に在さば豈聖人を用いずして徒に他国の逼を憂えん。

抑大覚世尊・遙に末法闘諍堅固の時を鑒み此くの如きの大難を対治す可きの秘術を説き置かせらるるの経文明明たり、然りと雖も如来の滅後二千二百二十余年の間・身毒・尸那・扶桑等・一閻浮提の内に未だ流布せず、随つて四依の大士内に鑒みて説かず天台伝教而も演べず時未だ至らざるの故なり、法華経に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布す」云云、天台大師云く「後五百歳」妙楽云く「五五百歳」伝教大師云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則五濁の生・闘諍の時」云云、東勝西負の明文なり。

法主聖人・時を知り国を知り法を知り機を知り君の為臣の為神の為仏の為災難を対治せらる可きの由・勘え