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日蓮大聖人・池田大作

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兵衛志殿御返事  (4/4) これは・とによせ・かくによせて・わどのばら…
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をやという・をやの世をすてて仏になれと申すをやは一人もなきなり、これは・とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり、両火房は百万反の念仏をすすめて人人の内をせきて法華経のたねを・たたんと・はかるときくなり、極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う・ただいまは・へちごの守殿一人計りなり、両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか、なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて其の一門のならせ給う事をみよ、又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなる・かたきをへさせ給へり。

わどの兄をすてて・あにがあとを・ゆづられたりとも千万年のさかへ・かたかるべし、しらず又わづかの程にや・いかんが・このよならんずらん、よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、かう申すとも・いたづらのふみなるべしと・をもへば、かくも・ものうけれども・のちのをもひでに・しるし申すなり、恐恐謹言。

  十一月二十日                    日蓮花押

   兵衛志殿御返事


兵衛志殿女房御書

先度仏器まいらせさせ給い候しが此度此の尼御前大事の御馬にのせさせ給いて候由承わり候、法にすぎて候御志かな・これは殿はさる事にて女房のはからひか、昔儒童菩薩と申せし菩薩は五茎の蓮華を五百の金銭を以て・かいとり定光菩薩を七日七夜供養し給いき、女人あり瞿夷となづく二茎の蓮華を以て自ら供養して云く凡夫にてあらん時は世世・生生・夫婦とならん仏にならん時は同時に仏になるべし・此のちかひくちずして九十一劫の間・夫婦となる、結句儒童菩薩は今の釈迦仏・昔の瞿夷は今の耶輸多羅女・今法華経の勧持品にして具足千万光相如来是なり、悉達太子檀特山に入り給しには金泥駒・帝釈の化身、摩騰迦・竺法蘭の経を漢土に渡せしには十羅刹・化して白馬となり給ふ、此馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後・霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり、恐恐謹言。

  建治三年丁丑三月二日                日蓮花押

兵衛志殿女房


兵衛志殿御書

久しくうけ給わり候はねば・よくおぼつかなく候、何よりも・あはれに・ふしぎなる事は大夫志殿と殿との御事・不思議に候、常さまには世末になり候へば聖人・賢人も皆かくれ・ただ・ざんじむ・ねいじん・わざん・きよくりの者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へば・かんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心も・せばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ、されば他人はさてをきぬ父母と夫妻と兄弟と諍う事れつしとしかとねことねずみとたかときじとの如しと見へて候、良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに二のわの車をたすけ二の足の人を・になへるが如く二の羽のとぶが如く日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい偏に貴辺の御身にあり、又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちに・みだれば大聖人世に出ずべしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ、あはれ平の左衛門殿さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびは・よも切せまいらせ候はじ、くやしくおはすらなん。

人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主・明雲等の真言師等・数百人かたらひて源の右将軍頼朝を調伏せしかば還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ安徳天皇は西海に沈み給う、人王八十二三四隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今・已上四人・座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて平の将軍義時を調伏し給う程に