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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (26/43) 日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一…
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御義口伝に云く十とは十界なり六とは六根なり王とは心王なり子とは心数なり此れ即ち実相の一理の大通の子なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は十六王子なり八方作仏とは我等が八苦の煩悩即菩提と開くなり云云。

第六 即滅化城の事

御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり、是を寿量品にしては而実不滅度とは説くなり、滅と云う見を滅するを滅と云うなり三権即一実の法門之を思う可し、或は即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり云云。

第七 皆共至宝処の事

御義口伝に云く皆とは十界なり共とは如我等無異なり至とは極果の住処なり宝処とは霊山なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し云云。

       五百弟子品三箇の大事

第一 衣裏の事

御義口伝に云く此の品には無価の宝珠を衣裏に繋くる事を説くなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一乗妙法の智宝を信受するなり信心を以て衣裏にかくと云うなり。

第二 酔酒而臥の事


御義口伝に云く酒とは無明なり無明は謗法なり臥とは謗法の家に生るる事なり、三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔い廻りて今謗法の家に臥したり、酔とは不信なり覚とは信なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の酒醒めたり、又云く酒に重重之れ有り権教は酒法華経は醒めたり、本迹相対する時迹門は酒なり始覚の故なり本門は醒めたり本覚の故なり、又本迹二門は酒なり南無妙法蓮華経は醒めたり酒と醒むるとは相離れざるなり、酒は無明なり醒むるは法性なり法は酒なり妙は醒めたり妙法と唱うれば無明法性体一なり、止の一に云く無明塵労即是菩提と。

第三 身心遍歓喜の事

御義口伝に云く身とは生死即涅槃なり心とは煩悩即菩提なり、遍とは十界同時なり歓喜とは法界同時の歓喜なり、此の歓喜の内には三世諸仏の歓喜納まるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉れば我則歓喜とて釈尊歓喜し給うなり、歓喜とは善悪共に歓喜なり十界同時なり深く之を思う可し云云。

        人記品二箇の大事

第一 学無学の事

御義口伝に云く学とは無智なり無学とは有智なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは学無学の人に如我等無異の記を授くるに非ずや、色法は無学なり心法は学なり又心法は無学なり色法は学なり学無学の人とは日本国の一切衆生なり、智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説きて而強毒之するなり。

第二 山海慧自在通王仏の事


御義口伝に云く山とは煩惱即菩提なり海とは生死即涅槃なり慧とは我等が吐く所の言語なり自在とは無障碍なり通王とは十界互具百界千如一念三千なり、又云く山とは迹門の意なり海とは本門の意なり慧とは妙法の五字なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は山海慧自在通王仏なり全く外に非ざるなり我等行者の外に阿難之れ無きなり、阿難とは歓喜なり一念三千の開覚なり云云。

       法師品十六箇の大事

第一 法師の事

御義口伝に云く法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり、諸法実相の開覚顕れて見れば地獄の灯燃猛火・乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり、又云く法とは題目・師とは日蓮等の類いなり。

第二 成就大願愍衆生故生於悪世広演此経の事

御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。

第三 如来所遣行如来事の事

御義口伝に云く法華の行者は如来の使に来れり、如来とは釈迦・如来事とは南無妙法蓮華経なり・如来とは十界三千の衆生の事なり今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは真実の御使なり云云。

第四 与如来共宿の事