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日蓮大聖人・池田大作

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四条金吾殿御返事  (1/2) 日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば天魔…
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四条金吾殿御返事

                    弘安元年十月 五十七歳御作

今月二十二日・信濃より贈られ候いし物の日記・銭三貫文・白米能米俵一・餅五十枚・酒大筒一・小筒一・串柿五把・柘榴十、夫れ王は民を食とし民は王を食とす衣は寒温をふせぎ食は身命をたすく、譬ば油の火を継ぎ水の魚を助くるが如し、鳥は人の害せん事を恐れて木末に巣くふ、然れども食のために地にをりてわなにかかる、魚は淵の底に住みて浅き事を悲しみて穴を水の底に掘りて・すめども餌にばかされて鉤をのむ、飲食と衣薬とに過ぎたる人の宝や候べき。

而るに日蓮は他人にことなる上・山林の栖・就中今年は疫癘飢渇に春夏は過越し秋冬は又前にも過ぎたり、又身に当りて所労大事になりて候つるをかたがたの御薬と申し小袖・彼のしなじなの御治法にやうやう験し候て今所労平愈し本よりも・いさぎよくなりて候、弥勒菩薩の瑜伽論・竜樹菩薩の大論を見候へば定業の者は薬変じて毒となる法華経は毒変じて薬となると見えて候、日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば天魔競ひて食をうばはんとするかと思いて歎かず候いつるに今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か

是はさてをきぬ、今度の御返りは神を失いて歎き候いつるに事故なく鎌倉に御帰り候事悦びいくそばくぞ、余りの覚束なさに鎌倉より来る者ごとに問い候いつれば或人は湯本にて行き合せ給うと云い或人はこうづにと或人は鎌倉にと申し候いしにこそ心落居て候へ、是より後はおぼろげならずば御渡りあるべからず大事の御事候はば御使にて承わり候べし、返す返す今度の道は・あまりに・おぼつかなく候いつるなり、敵と申す者はわすれさせ


てねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ、又供の者ども・せんにあひぬべからんもの又どうまろもちあげぬべからん・御馬にのり給うべし、摩訶止観第八に云く弘決第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か。

されば末法に此の経を・ひろめん人人・舎利弗と迦葉と観音と妙音と文殊と薬王と此等程の人やは候べき、二乗は見思を断じて六道を出でて候・菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月の如し、然れども此等の人人には・ゆづり給はずして地涌の菩薩に譲り給へり、されば能く能く心をきたはせ給うにや、李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、貴辺も又かくのごとく敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし、委く紙には尽しがたし、恐恐謹言。

  弘安元年戊寅後十月二十二日             日蓮花押

   四条左衛門殿御返事


日眼女造立釈迦仏供養事

                    弘安二年二月 五十八歳御作

御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女・御供養の御布施前に二貫今一貫云云。

法華経の寿量品に云く「或は己身を説き或は他身を説く」等云云、東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等・文殊師利・舎利弗等・大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星・阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる・天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月・諸仏・菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり、譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき。

今の日眼女は三十七のやくと云云、やくと申すは譬えばさいにはかどますにはすみ人にはつぎふし方には四維の如し、風は方よりふけばよはく・角より吹けばつよし・病は肉より起れば治しやすし節より起れば治しがたし、家にはかきなければ盗人いる・人には・とがあれば敵便をうく、やくと申すはふしぶしの如し、家にかきなく人に科あるがごとし、よきひやうしを以てまほらすれば盗人をからめとる、ふしの病をかぬて治すれば命ながし、今教主釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し国王・尚此の女を敬ひ給ふ何に況や大臣已下をや、大梵天王・釈提桓因王・日月等・此の女人を守り給ふ況や大小の神祇をや、昔優塡大王・釈迦仏を造立し奉りしかば大梵天王・日月等・木像を礼しに参り給いしかば木像説いて云く「我を供養せんよりは優塡大王を供養すべし」等云云、影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又又是くの如し、法華経に云く「若し人仏の為の故に諸の形像を建立す是くの