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日蓮大聖人・池田大作

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法華行者逢難事  (2/3) 佐渡の国の流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行を…
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「爾の時に多く無量の外道有り和合して共に摩伽陀の王・阿闍世の前に往きぬ○今は唯一大悪人有り瞿曇沙門なり王未だ検校せず我等甚だ畏る、一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為る乃至迦葉・舎利弗・目犍連」等云云如来現在猶多怨嫉の心是なり、得一大徳天台智者大師を罵詈して曰く「智公汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」、又云く「豈是れ顛狂の人に不ずや」等云云、南都七大寺の高徳寺・護命僧都・景信律師等三百余人・伝教大師を罵詈して曰く「西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云、秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。

夫れ在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り所謂仏と天台・伝教となり、真言宗の善無畏・不空等・華厳宗の杜順・智儼等・三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人人なり、竜樹・天親等の論師は内に鑒みて外に発せざる論師なり、経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず、而るに仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し其の時の大難・在世に超過せんと云云、仏に九横の大難有り所謂孫陀利の謗と金鏘と馬麦と琉璃の釈を殺すと乞食空鉢と旃遮女の謗と調達が山を推すと寒風に衣を索むるとなり、其の上一切外道の讒奏上に引くが如し記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。

之を以て之を案ずるに末法の始に仏説の如く行者世に出現せんか、而るに文永十年十二月七日・武蔵の前司殿より佐土の国へ下す状に云く自判之在り。

佐渡の国の流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行を巧むの由其の聞え有り所行の企て甚だ以て奇怪なり今より以後彼僧に相い随わん輩に於ては炳誡を加えしむ可し、猶以て違犯せしめば交名を注進せらる可きの由の所に候な


り、仍て執達件の如し。

文永十年十二月七日            沙門観恵上る

依智六郎左衛門尉等云云。

此の状に云く悪行を巧む等云云、外道が云く瞿曇は悪人なり等云云、又九横の難一一に之在り、所謂琉璃殺釈と乞食空鉢と寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり、恐くは天台・伝教も未だ此の難に値いたまわず当に知るべし三人に日蓮を入れ四人と為して法華経の行者末法に有るか、喜い哉況滅度後の記文に当れり悲い哉国中の諸人阿鼻獄に入らんこと茂きを厭うて之を子細に記さず心を以て之を推せよ。

  文永十一年甲戌正月十四日              日蓮花押

一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ。


富木殿御返事

                    文永十二年 五十四歳御作

  富木殿御返事            日蓮

帷一領給び候い畢んぬ、夫れ仏弟子の中・比丘一人はんべり、飢饉の世に仏の御時事かけて候いければ比丘袈裟をうて其のあたいを仏に奉る、仏其の由来を問い給いければ・しかじかとありのままに申しけり、仏云く「袈裟はこれ三世の諸仏・解脱の法衣なり、このあたひをば我ほうじがたし」と辞退しましまししかば此の比丘申すは「この袈裟あたひをば・いかんがせん」と申しければ、仏の云く「汝悲母有りや不や」答えて云く「有り」仏云く「此の袈裟をば汝母に供養すべし」此の比丘・仏に云く「仏は此れ三界の中第一の特尊なり一切衆生の眼目にてをはす、設い十方世界を覆う衣なりとも大地にしく袈裟なりとも能く報じ給うべし、我が母は無智なる事牛のごとし羊よりもはかなしいかでか袈裟の信施をほうぜん」と云云、仏返して告げて云く「汝が身をば誰か生みしぞや汝が母これを生む此の袈裟の恩報じぬべし」等云云、此れは又齢九旬にいたれる悲母の愛子にこれをまいらせさせ給える我と両眼をしぼり身命を尽くせり、我が子の身として此の帷の恩かたしと・をぼして・つかわせるか日蓮又ほうじがたし、しかれども又返すべきにあらず此の帷をきて日天の御前にして此の子細を申し上げば定めて釈梵諸天しろしめすべし、帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ土を大地に加るがごとし生生に失せじ世世にくちざらむかし、恐恐謹言。

  二月五日                      日蓮花押