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日蓮大聖人・池田大作

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一代五時継図  (23/33) 不老は是れ楽・不死は是れ常・此の経を聞いて…
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伝教大師加茂大明神に参詣して法華経を講ず甲冑をぬいで自ら布施し給い畢んぬ。

文句の十に云く得聞是経不老不死とは此れ須らく観解すべし不老は是れ楽・不死は是れ常・此の経を聞いて常楽の解を得文。

涅槃経の十三に云く是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲す喩と為ることを得ず百倍千倍百千万億倍乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、善男子譬えば牛より乳を出し乳より酪を出し酪より生蘇を出し生蘇より熟蘇を出し熟蘇より醍醐を出し醍醐最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除く所有の諸薬悉く其の中に入るが如し、善男子・仏も亦是くの如し仏より十二部経を出生し十二部経より修多羅を出し修多羅より方等経を出し方等より般若波羅蜜を出し般若波羅蜜より大涅槃を出す猶醍醐の如し、醍醐と言うは仏性を喩う仏性とは即ち是れ如来なり文。

一、金剛峯寺建立修業縁記に云く、吾入定の間知足天に往いて慈尊御前に参仕すること五十六億七千余歳の後・慈尊下生の時必ず随従して吾が旧跡を見る可し此の峯等閑にすること勿れと文。

一、弘決に云く若し衆生・生死を出でず仏乗を慕わずと知らば魔・是の人に於て猶親想を生ずと文。

五百問論に云く大千界塵数の仏を殺すは其の罪尚軽し、此の経を毀謗すれば罪彼より多し永く地獄に入つて出期有ること無からん、読誦の者を毀呰する亦復是くの如し文。

一、広宣流布す可き法華の事

伝教大師の守護章に云く正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て知ることを得ん安楽行品に云く末世法滅時と文。

秀句の下に云く代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍


の時なり、経に云く如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや、此の言良に所以有るなり文。

道暹和尚の輔正記に云く法華の教興れば権教即ち廃す日出れば星隠れ功なるを見て拙を知る文。

法華経の安楽行品に云く一切世間怨多くして信じ難し文。

薬王品に云く我滅度の後・後の五百歳の中・閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん文。

勧発品に云く我今神通力を以ての故に是の経を守護して如来滅後閻浮提の内に於て広く流布せしめて断絶せざらしめんと文。

文句の一に云く但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に沾わんと文。

一乗要決に云く日本一州・円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し緇素貴賤悉く成仏を期す、安然の広釈に云く彼の天竺国には外道有つて仏道を信ぜず亦小乗有つて大乗を許さず、其の大唐国には道法有つて仏法を許さず亦小乗有つて大乗を許さず、我が日本国には皆大乗を信じて一人として成仏を願わざること有ること無し、瑜伽論に云く東方に小国有つて唯大乗の機のみ有り豈我が国に非ずや文。

一、不謗人法の事

安楽行品に云く人及び経典の過を説くことを楽わざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ文。

止観の十に云く夫れ仏説に両説あり一に摂・二に折・安楽行の長短を称ぜざるが如き是れ摂の義なり、大経の刀杖を執持し乃至首を斬る是れ折の義なり、与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ文。

弘決の十に云く夫れ仏法両説等は大経の執持刀杖等は第三に云く善男子・正法を護持する者・五戒を受けず・威儀を修せず乃至下の文は仙預国王等の文なり文。

文句の八に云く大経には偏に折伏を論じ一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども


頭七分に破る折伏無きに非ず、各各一端を挙げて時に適うのみ文。

顕戒論の中に云く論じて曰く持品の上位は四行を用いず安楽の下位は必ず四行を修す摩訶薩の言定んで上下に通ずと文。

文句の八に云く持品は八万の大士忍力成ずる者此の土に弘経す新得記の者は他土に弘経す安楽行の一品文。

疏記の八に云く持品は即ち是れ悪世の方軌安楽行は即ち是れ始行の方軌なり故に住忍辱地等と云う、安楽行品に云く他人及び経典の過を説かざれ、他人の好悪長短を説かざれと文。

一、念仏の一切衆生の往生せざる事並びに難行道次に六道輪廻の事

善導和尚の玄義分に云く問うて曰く未審定散の二善出でて何れの文にか在る今既に教備つて虚しからず何れの機か受くることを得る、答えて曰く解するに二義有り一には謗法と無信八難及び非人と此等は受けざるなり斯れ乃ち朽林頑石生潤の期有る可からず此等の衆生は必ず受化の義無し、斯れを除いて已外は一心に信楽して求めて往生を願ずれば上み一形を尽し下も十念を収む仏の願力に乗じて皆往かざると云うこと莫し文。

往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜずと文。

一、八難処の事

弘決の四に云く北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡と仏前仏後と・諸根不具を加う、是を八難と為すと文。

善導の遺言に云く我・毎日阿弥陀経六十巻・念仏六万返・懈怠無く三衣は身の皮の如く瓶鉢は両眼の如く諸の禁戒を持ち一戒をも犯さず未来の弟子も亦然り、設い念仏すと雖も戒を持たざる者は往生即ち得難し、譬えば小舟に大石を載せ大悪風に向つて去るが如し、設い本願の船有りと雖も破戒の大石重きが故に岸に就くこと万が一な