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日蓮大聖人・池田大作

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呵責謗法滅罪抄  (1/7) 法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前…
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いそぎ・いそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり、ただ歎く所は露命計りなり天たすけ給へと強盛に申し候、浄徳夫人・竜女の跡をつがせ給へ、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、あなかしこ・あなかしこ。

  八月十五日                     日蓮花押

   経王御前御返事

呵責謗法滅罪抄

                    文永十年 五十二歳御作

御文委く承り候、法華経の御ゆへに已前に伊豆の国に流され候いしもかう申せば謙ぬ口と人は・おぼすべけれども心ばかりは悦び入つて候いき、無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば争か・かかる・つたなき凡夫とは生れ候べき、一端は・わびしき様なれども法華経の御為なれば・うれしと思い候いしに少し先生の罪は消えぬらんと思しかども無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種種の重罪・大山より高く大海より深くこそ候らめ、五逆罪と申すは一逆を造る猶・一劫・無間の果を感ず。

一劫と申すは人寿八万歳より百年に一を減し是くの如く乃至十歳に成りぬ、又十歳より百年に一を加うれば次第に増して八万歳になるを一劫と申す、親を殺す者此程の無間地獄に堕ちて隙もなく大苦を受くるなり、法華経誹謗の者は心には思はざれども色にも嫉み戯れにも訾る程ならば経にて無けれども法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば上の一劫を重ねて無数劫・無間地獄に堕ち候と見えて候、不軽菩薩を罵打し人は始こそ・さありしかども後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事・諸天の帝釈を敬ひ我等が日月を畏るるが如くせしかども始め訾りし


大重罪消えかねて千劫・大阿鼻地獄に入つて二百億劫・三宝に捨てられ奉りたりき。

五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱の如くして急に事を切る、謗法は白癩病の如し始は緩に後漸漸に大事なり、謗法の者は多くは無間地獄に生じ少しは六道に生を受く、人間に生ずる時は貧窮・下賤等・白癩病等と見えたり、日蓮は法華経の明鏡をもつて自身に引き向かへたるに都て・くもりなし、過去の謗法の我が身にある事疑いなし此の罪を今生に消さずば未来争か地獄の苦をば免るべき、過去遠遠の重罪をば何にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘えしに当世・時に当つて謗法の人人・国国に充満せり、其の上・国主既に第一の誹謗の人たり、此の時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき、日蓮が小身を日本国に打ち覆うてののしらば無量無辺の邪法の四衆等・無量無辺の口を以て一時に訾るべし、爾の時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を怨み或は頸を刎ね或は流罪に行ふべし、度度かかる事、出来せば無量劫の重罪・一生の内に消なんと謀てたる大術・少も違ふ事なく・かかる身となれば所願も満足なるべし。

然れども凡夫なれば動すれば悔ゆる心有りぬべし、日蓮だにも是くの如く侍るに前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し、妙楽大師の釈に云く記七「故に知んぬ末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云、又云く弘二「運像末に在つて此の真文を矚る宿に妙因を殖うるに非ざれば実に値い難しと為す」等云云。

妙法蓮華経の五字をば四十余年・此れを秘し給ふのみにあらず迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ寿量品にして本果・本因の蓮華の二字を説き顕し給ふ、此の五字をば仏・文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付属せさせ給はず、地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して此れを付属し給ふ、儀式ただ事


ならず宝浄世界の多宝如来・大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ、三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土を浄め高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道に殖え並べて・宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ十方分身の仏尽く来り坐し給ふ、又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並び給ふ、譬えば青天に日月の並べるが如し帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し、此の界の文殊等・他方の観音等・十方の虚空に雲集せる事・星の虚空に充満するが如し、此の時此の土には華厳経の七処八会・十方世界の台上の盧舎那仏の弟子・法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土・塵点数の大菩薩雲集せり、方等の大宝坊・雲集の仏菩薩・般若経の千仏・須菩提帝釈等・大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩・金剛頂経の三十七尊等・涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給いし十方法界の仏菩薩をば文殊・弥勒等互に見知して御物語り是ありしかば此等の大菩薩は出仕に物狎れたりと見え候、今此の四菩薩出でさせ給うて後・釈迦如来には九代の本師・三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処と・ののしらせ給ふ弥勒等も此の菩薩に値いぬれば物とも見えさせ給はず、譬えば山かつが月卿に交り猨猴が師子の座に列るが如し、此の人人を召して妙法蓮華経の五字を付属せさせ給いき、付属も只ならず十神力を現じ給ふ、釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば諸仏も亦復是くの如く四百万億那由佗の国土の虚空に諸仏の御舌赤虹を百千万億・並べたるが如く充満せしかばおびただしかりし事なり、是くの如く不思議の十神力を現じて結要付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して其の後又一つの神力を現じて文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経乃至・一代聖教をば付属せられしなり、本より影の身に随つて候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此の五字を譲り給はず此れは・さてをきぬ、文殊・弥勒等には争か惜み給うべき器量なくとも嫌い給うべからず、方方不審なるを或は他方の菩薩は此の土に縁少しと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ