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日蓮大聖人・池田大作

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高橋入道殿御返事  (3/5) 仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・…
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めて云く此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり、必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給へり。

此に日蓮進退わづらひて此の事を申すならば我が身いかにもなるべし我が身はさてをきぬ父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随うものは国主万民にあだまるべし、彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり又此れを申さずは仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり大阿鼻地獄疑いなし、いかんがせんとをもひしかども・をもひ切つて申し出しぬ、申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば・いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ万民もせめき、あだをなせしかば天もいかりて日月に大変あり大せいせいも出現しぬ大地もふりかえしぬべくなりぬ、どしうちもはじまり他国よりもせめるなり、仏の記文すこしもたがわず・日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。

但し去年かまくらより此のところへにげ入り候いし時・道にて候へば各各にも申すべく候いしかども申す事もなし、又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず、なに事にか各各をば・へだてまいらせ候べき、あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば・ことに悦ぶ身なり、日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上・わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子・所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。

而も去年の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立ち同月の二十六日にかまくらに入る、同四月の八日平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よす


べし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頸を切つてゆいのはまにかくべし、それも今はすぎぬ・但し皆人のをもひて候は日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候、これは物のかずにてかずならず・真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり、弘法大師と慈覚大師此の事にまどひて此の国を亡さんとするなり、設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき。

たすけんがために申すを此程あだまるる事なれば・ゆりて候いし時さどの国より・いかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども・此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき、又申しきかせ候いし後は・かまくらに有るべきならねば足にまかせていでしほどに便宜にて候いしかば設い各各は・いとはせ給うとも今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども・心に心をたたかいてすぎ候いき、そのゆへはするがの国は守殿の御領ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人人多し、故最明寺殿・極楽寺殿のかたきといきどをらせ給うなればききつけられば各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり、いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候いき、この御房たちのゆきすりにも・あなかしこあなかしこ・ふじかじまのへんへ立ちよるべからずと申せども・いかが候らんとをぼつかなし。

ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給い候らん、いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし但眼前の事をもつて知しめせ、隠岐の法皇は人王八十二代・神武よりは二千余年・天照太神入りかわらせ給いて人王とならせ給う、いかなる者かてきすべき上欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候、此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり、隠岐の法皇世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして叡山・東寺等の高僧等をかたらひて義時が命をめしと


れと行ぜしなり、此の事一年二年ならず数年調伏せしに・権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず・又行ずとも叶うべしともをぼへずありしに・天子いくさにまけさせ給いて隠岐の国へつかはされさせ給う、日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり、先生の十善戒の力といひ・いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき、設いとがありともつみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候いぬらめ、設い親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給うべしや、しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給いしはいかなる大禍ぞ・此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給いしゆへなり。

一切の真言師は灌頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり、かかる不思議の者ども諸山・諸寺の別当とあおぎてもてなすゆへに・たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ、此の大悪法又かまくらに下つて御一門をすかし日本国をほろぼさんとするなり、此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず・只いつはり・をろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり、今は又用いられぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申すなり、かう申せば・いよいよ御不審あるべし、日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか、この疑すべてはるべからず・いかにとかすべき。

但し皆人はにくみ候にすこしも御信用のありし上・此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ定めて過去のゆへか、御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく候、但しつるぎはかたきのため薬は病のため、阿闍世王は父をころし仏の敵となれり、悪瘡身に出で後に仏に帰伏し法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき、而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ一身いかでかたすからざるべき、但し御疑のわたり候はんをば力をよばず、南