Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

聖愚問答抄 下  (13/14) 名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり
499

如し、天台は名詮自性・句詮差別とも名者大綱とも判ずる此の謂れなり、又名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり法華題名の功徳も亦以て此くの如し。

愚人云く聖人の言の如くば実に首題の功莫大なり但し知ると知らざるとの不同あり、我は弓箭に携り兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや、聖人云く円頓の教理は初後全く不二にして初位に後位の徳あり一行・一切行にして功徳備わらざるは之れ無し若し汝が言の如くば功徳を知つて植えずんば上は等覚より下は名字に至るまで得益更にあるべからず、今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智・舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者・薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者・煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり、天台大師も法華経に付いて玄義・文句・止観の三十巻の釈を造り給う、妙楽大師は又釈籤・疏記・輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す、天台六十巻とは是なり、玄義には名体宗用教の五重玄


を建立して妙法蓮華経の五字の功能を判釈す、五重玄を釈する中の宗の釈に云く「綱維を提ぐるに目として動かざること無く衣の一角を牽くに縷として来らざる無きが如し」と、意は此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし、譬ば網の目・無量なれども一つの大綱を引くに動かざる目もなく衣の糸筋巨多なれども一角を取るに糸筋として来らざることなきが如しと云う義なり、さて文句には如是我聞より作礼而去まで文文・句句に因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けたり、次に止観には妙解の上に立てる所の観不思議境の一念三千・是れ本覚の立行・本具の理心なり、今爰に委しくせず、悦ばしいかな生を五濁悪世に受くといへども一乗の真文を見聞する事を得たり、熈連恒沙の善根を致せる者・此の経にあい奉つて信を取ると見えたり、汝今一念随喜の信を致す函蓋相応感応道交疑い無し。

愚人頭を低れ手を挙げて云く我れ今よりは一実の経王を受持し三界の独尊を本師として今身自り仏身に至るまで此の信心敢て退転無けん、設ひ五逆の雲厚くとも乞ふ提婆達多が成仏を続ぎ十悪の波あらくとも願くは王子・覆講の結縁に同じからん、聖人云く人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ、夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、されば猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅をますが如くせば豈好き事にあらずや。


如説修行抄

夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり、其の故は在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し、何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり・予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。

問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度・九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り・竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三・北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり、かかる時刻に日蓮仏勅