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日蓮大聖人・池田大作

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弥源太入道殿御消息  (2/2) 日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたば…
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る故なりされば現身に彼の寺の故に亡国すべき事当りぬ、日蓮は度度知つて日本国の道俗の科を申せば是は今生の禍・後生の福なり、但し道隆の振舞は日本国の道俗知りて候へども上を畏れてこそ尊み申せ又内心は皆うとみて候らん、仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも世間の事は眼前なれば知りぬらん、又一は用いずとも人の骨の舎利と成る事は易く知れ候事にて候、仏の舎利は火にやけず・水にぬれず・金剛のかなづちにて・うてども摧けず、一くだきして見よかし・あらやすし・あらやすし、建長寺は所領を取られて・まどひたる男どもの入道に成りて四十・五十・六十なんどの時・走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、云うに甲斐なく死ぬれば不思議にて候を・かくして暫くもすぎき。

又は日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたばかりて候らめ、あまりの事どもなれば誑惑顕われなんとす、但しばらく・ねうじて御覧ぜよ、根露れぬれば枝かれ・源渇けば流尽くると申す事あり、恐恐謹言。

  弘安元年戊寅八月十一日               日蓮花押

   弥源太入道殿


桟敷女房御返事

                     建治元年五月 五十四歳御作

女人は水のごとし・うつは物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につがはさる・女人はふねのごとし・かぢのまかするによるべし、しかるに女人はをとこ・ぬす人なれば女人ぬす人となる・をとこ王なれば女人きさきとなる・をとこ善人なれば女人・仏になる、今生のみならず後生も・をとこによるなり、しかるに兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり、たとひ・いかなる事ありとも・をとこのめなれば法華経の女人とこそ仏は・しろしめされて候らんに・又我とこころををこして法華経の御ために御かたびらをくりたびて候。

法華経の行者に二人あり・聖人は皮をはいで文字をうつす・凡夫は・ただ・ひとつきて候かたびら・などを法華経の行者に供養すれば皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり、此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば・六万九千三百八十四のかたびらなり、又六万九千三百八十四の仏・一一・六万九千三百八十四の文字なれば・此のかたびらも又かくのごとし、たとへばはるの野の千里ばかりに・くさのみちて候はんに・すこしの豆ばかりの火を・くさ・ひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる、此のかたびらも又かくのごとし、ひとつのかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。

この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん、まして・わが・いとをしと・をもふ・をとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。

  五月二十五日                    日蓮花押

   さじき女房御返事


棧敷女房御返事

                    建治四年二月 五十七歳御作

白かたびら布一給い畢んぬ、法華経を供養申しまいらせ候に・十種くやうと申す十のやう候、其のなかに衣服と申し候は・なににても候へ、僧のき候物をくやうし候、其の因縁を・とかれて候には過去に十万億の仏を・くやうせる人・法華経に近づきまいらせ候とこそとかれて候へ、あらあら申すべく候へども、身にいたはる事候間・こまやかならず候、恐恐謹言。

  二月十七日                     日蓮花押

   さじきの女房御返事

善無畏抄

                    建治元年 五十四歳御作

善無畏三蔵は月氏・烏萇奈国の仏種王の太子なり、七歳にして位に即き給う十三にして国を兄に譲り出家遁世し五天竺を修行して五乗の道を極め三学を兼ね給いき、達磨掬多と申す聖人に値い奉りて真言の諸印契一時に頓受し即日に御灌頂なし人天の師と定まり給いき、雞足山に入りては迦葉尊者の髪を剃り王城に於て雨を祈り給いしかば観音日輪の中より出て水瓶を以て水を灌ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にして仏法を祈請せしかば文殊師利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給う、其の後開元四年丙辰に漢土に渡る玄宗皇帝之を尊むこと日月の如し、又大旱魃あり皇帝勅宣を下す、三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給いしに水の中に指許りの物有り変じて竜