Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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撰時抄  (4/37) 前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時…
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提に於て断絶せしむること無けん」等云云、経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云、同第六の巻に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等・又第四の巻に云く「而も此経は如来現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔魔民諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便を得ん」大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云、法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若に有り」等云云又云く「悪鬼其身に入る」等云云、文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入る大僧等・国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等・時の王臣・万民等を語て悪口罵詈・杖木瓦礫・流罪死罪に行はん時釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ其の時天変・地夭・盛なるべし、国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時・十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。

問うて曰く経文は分明に候・天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや、答えて曰く汝が不審逆なり釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何、彼云く道理至極せり、しかれども凡夫の習経は遠し釈は近し近き釈分明ならばいますこし信心をますべし、今云く汝が不審ねんごろなれば少少釈をいだすべし天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に


沾わん」妙楽大師云く「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり」又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云、夫れ釈尊の出世は住劫第九の減・人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間・在世五十年・滅後二千年と一万年となり、其の中間に法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝頭羅弗とはならじ」と云云。

問うて云く竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時には機なし・二には時なし・三には迹化なれば付嘱せられ給はず、求めて云く願くは此の事よくよくきかんとをもう、答えて云く夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始なり迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年・次に商那和修二十年・次に優婆崛多二十年・次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況や法華経をひろむべしや、次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等


の四五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少少・出来せしかども・とりたてて弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ、已上大集経の先五百年解脱堅固の時なり、正法の後六百年・已後一千年が前・其の中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅睺尊者・僧佉難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経をきわめ後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給いき此等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給いしかども諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかかせ給はず、設い勝劣をすこしかかせ給いたるやうなれども本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず、但或は指をもつて月をさすがごとくし或は文にあたりてひとはし計りかかせ給いて化導の始終・師弟の遠近・得道の有無はすべて一分もみへず、此等は正法の後の五百年・大集経の禅定堅固の時にあたれり、正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども或は小をもて大を破し或は権経をもつて実経を隠没し仏法さまざまに乱れしかば得道の人やふやくすくなく仏法につけて悪道に堕る者かずをしらず、正法一千年の後・像法に入つて一十五年と申せしに仏法東に流れて漢土に入りにき、像法の前五百年の内・始の一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず設い定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず、而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわかつならば聖教一同ならざる故・疑をこりてかへりて外典とともなう者もありぬべし、これらのをそれ・あるかのゆへに摩騰・竺蘭は自は知つて而も大小を分けず権実をいはずしてやみぬ、其の後・魏・晉・斉・宋・梁の五代が間・仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程にいづれこそ道理ともきこえずして上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず南三・北七・と申して仏法十流にわかれぬ所謂南には三時・四時・五時・北には五時・半満・四宗・五宗・六宗、二宗の大乗・一音等・各各義を立て辺執水火なり、しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり法華経は阿含・般若・浄