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日蓮大聖人・池田大作

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同生同名御書  (1/2) 石を珠といへども珠とならず珠を石といへども…
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承り候、三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頸をたすけ、明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ、いま日天子ばかりのこり給ふ定めて守護あるべきかとたのもしたのもし、法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ、強盛の信力こそありがたく候へ、恐恐謹言。

  文永八年九月二十一日                日蓮花押

   四条金吾殿

同生同名御書

                    文永九年四月 五十一歳御作

  此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候。

大闇をば日輪やぶる女人の心は大闇のごとし法華経は日輪のごとし、幼子は母をしらず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし、二人たがひに思へば・すべてはなれず一人は思へども一人思はざれば・あるときはあひ・あるときはあわず、仏は・をもふものの・ごとし女人は・をもはざるものの・ごとし、我等仏を・をもはば・いかでか釈迦仏・見え給はざるべき、石を珠といへども珠とならず珠を石といへども石とならず、権経の当世の念仏等は石のごとし、念仏は法華経ぞと申すとも法華経等にあらず、又法華経をそしるとも珠の石とならざるがごとし。

昔唐国に徽宗皇帝と申せし悪王あり、道士と申すものにすかされて仏像・経巻をうしなひ僧尼を皆還俗せしめしに一人として還俗せざるものなかりき、其の中に法道三蔵と申せし人こそ勅宣をおそれずして面にかなやきを・


やかれて江南と申せし処へ流されて候いしが、今の世の禅宗と申す道士の法門のやうなる悪法を御信用ある世に生れて、日蓮が大難に値うことは法道に似たり、おのおの・わずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をも・はばからず命をも・おしまず法華経を御信用ある事ただ事とも・おぼえず、但おしはかるに濁水に玉を入れぬれば水のすむがごとし、しらざる事を・よき人に・おしえられて其のままに信用せば道理に・きこゆるがごとし、釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし、女人は・たとへば藤のごとし・をとこは松のごとし須臾も・はなれぬれば立ちあがる事なし。

はかばかしき下人もなきに・かかる乱れたる世に此のとのを・つかはされたる心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん、人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身に・したがふがごとく須臾も・はなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしも・おとさず・かはる・かはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天も・しろしめしぬらん、たのもしし・たのもしし。

  四月 日                      日蓮花押

   四条金吾殿女房御返事


四条金吾殿御返事

                    文永九年五月 五十一歳御作

日蓮が諸難について御とぶらひ今に・はじめざる志ありがたく候、法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ、又三悪・四趣にこそ候いつらめ、今は生死切断し仏果をうべき身となれば・よろこばしく候。

天台伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給うすら・なを怨嫉の難にあひ給いぬ、日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等・相伝して弘め給ふ、第十八代の座主・慈慧大師なり御弟子あまたあり、其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします、法門又二つに分れたり、檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ、されば教と観とは日月のごとし教はあさく観はふかし、されば檀那の法門は・ひろくして・あさし、慧心の法門は・せばくして・ふかし。

今日蓮が弘通する法門は・せばきやうなれども・はなはだふかし、其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり、本門寿量品の三大事とは是なり、南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し、されども三世の諸仏の師範・十方薩埵の導師・一切衆生皆成仏道の指南にてましますなれば・ふかきなり、経に云く「諸仏智慧・甚深無量」云云、此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏・真言宗の大日如来・浄土宗の阿弥陀・乃至諸宗・諸経の仏・菩薩・過去・未来・現在の総諸仏・現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて次に智慧といへり、此の智慧とは・なにものぞ諸法実相・十如果成の法体なり、其の法体とは又なにものぞ南無妙法蓮華経是なり、釈に云く「実相の深理・本有の妙法蓮華経」といへり、其の諸法実相と云うも釈迦多宝の二仏とならうなり、