Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一代聖教大意  (2/16) 慈悲を観じて嫉妬を治す
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                ┌─一に五停心──┐
                        
          ┌─三賢──┼─二に別想念処─┼外凡
                       
   智と言う事なり     └─三に総想念処─┘
          
  七賢──────┤     ┌─一に輭法───┐
                       
               ├─二に頂法───┼内凡
          └─四善根─┤        
                ├─三に忍法───┤
                        
                └─四に世第一法─┘

此の七賢の位は六道の凡夫より賢く生死を厭ひ煩悩を具しながら煩悩を発さざる賢人なり、例せば外典の許由巣父が如し。

      ┌─一に数息───息を数えて散乱を治す
      
      ├─二に不浄───身の不浄を観じて貪欲を治す
      
 五停心──┼─三に慈悲───慈悲を観じて嫉妬を治す
      
      ├─四に因縁───十二因縁を観じて愚癡を治す
      
      └─五に界方便──地水火風空識の六界を観じて障道を治す又は念仏と云う
      ┌─一に身────外道は身を浄と言い仏は不浄と説き給う
      
      ├─二に受────外道は三界を楽と言い仏は苦と説き給う
 別想念処─┤
      ├─三に心────外道は心を常と言い仏は無常と説き給う
      
      └─四に法────外道は一切衆生に我有りと云い仏は無我と説き給う

外道は常仏は苦・不浄・無常・無我と説く総想念処とは先の苦・不浄・無常・無我を調練して観ずるなり輭法は智慧の火・煩悩の薪を蒸せば煙の立つなり故に輭法と云う、頂法は山の頂に登つて四方を見るに雲無きが如し、世間出世間の因果の道理を委く知つて闇き事無きに譬えたるなり、始め五停心より此の頂法に至るまで退位と申して悪縁に値へば悪道に堕つ而れども此の頂法の善根は失せずと習うなり、忍法は此の位に入る人は永く悪道に堕ちず、世第一法は此の位に至る賢人なり但今聖人と成る可きなり。

                      ┌─随信行──鈍根
          ┌─一に見道─────┤
                     └─随法行──利根
   正と言う事なり
                     ┌─信解───鈍根
                     
   七聖三────┼─二に修道─────┼─見得───利根
                     
                     └─身証───利鈍に亘る
          
             阿羅漢     ┌─慧解脱──鈍根
                     
          └─三に無学道────┤
                      └─倶解脱──利根

見・思の煩悩を断ずる者を聖と云う、此の聖人に三道あり、見道とは見・思の内の見惑を断じ尽くす、此の見惑を尽くす人をば初果の聖者と申す、此の人は欲界の人・天には生るれども永く地・餓・畜・修の四悪趣には堕ちず、天台云く「見惑を破るが故に四悪趣を離る」文、此の人は未だ思惑を断ぜず貪・瞋・癡・有り、身に貪欲ある故に妻を帯す、而れども他人の妻を犯さず、瞋恚あれども物を殺さず、鋤を以て地をすけば虫・自然に四寸去る、愚癡なる故に我が身・初果の聖者と知らず、婆娑論に云く「初果の聖者は妻を八十一度・一夜に犯すと」取意天台の解釈に云く「初果地を耕すに虫四寸を離るるは道共の力なり」と、第四果の聖者・阿羅漢を無学と云ひ亦は不生と云う、


永く見思を断じ尽して三界六道に此の生の尽きて後生ずべからず見思の煩悩無きが故なり、又此の教の意は三界六道より外に処を明さざれば生処有りと知らず・身に煩悩有りとも知らず又生因なく但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習う、法華経にあらずば永く仏になるべからずと云うは二乗是なり、此の教の修行の時節は声聞は三生鈍根六十劫利根又一類の最上利根の声聞一生の内に阿羅漢の位に登る事あり、縁覚は四生鈍根百劫利根菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず而も四弘誓願を発し六度万行を修し三僧祇・百大劫を経て三蔵教の仏と成る仏と成る時始めて見思を断尽するなり、見惑とは一には身見亦我見と云う二には辺見亦断見常見と云う三には邪見亦撥無見と云う四には見取見亦劣謂勝見と云う五には戒禁取見亦非因計因非道計道見と云うなり見惑は八十八有れども此の五が根本にて有るなり、思惑とは一には貪・二には瞋・三には癡・四には慢なり思惑は八十一有れども此の四が根本にて有るなり、此の法門は阿含経四十巻・婆沙論二百巻・正理論・顕宗論・倶舎論に具に明せり、別して倶舎宗と申す宗有り又諸の大乗に此の法門少少明す事あり・謂く方等部の経・涅槃経等なり但し華厳・般若・法華には此の法門無し。

次に通教とは大乗の始なり又戒定慧の三学あり、此の教の意のおきて大旨は六道を出でず少分利根なる菩薩六道より外に推し出すことあり、声聞・縁覚・菩薩・共に一の法門を習い見思を三人共に断じ而も声聞・縁覚・灰身滅智の意に入る者もあり入らざる者もあり、此の教に十地あり。

      ┌─一 乾慧地───三 賢──┐
                    ├─賢人
      ├─二 性地────四善根──┘
      
      ├─三 八人地───見道位聖人──┐
                      ├─見惑を断ず
      ├─四 見地────初果の聖人──┘