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日蓮大聖人・池田大作

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十法界明因果抄  (3/11) 爾の時に比丘此の偈を得て本師の比丘に語る、…
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昧を得て一代聖教を覚れり、仏入滅の後・阿闍世王・阿難を帰依し奉る、仏の滅後四十年の此阿難尊者・一の竹林の中に至るに一りの比丘有り一の法句の偈を誦して云く「若し人生じて百歳なりとも水の潦涸を見ずんば生じて一日にして之を覩見することを得るに如かず」已上、阿難此の偈を聞き比丘に語つて云く此れ仏説に非ず汝修行す可らず爾時に比丘阿難に問うて云く仏説は如何、阿難答えて云く若人生じて百歳なりとも生滅の法を解せずんば生じて一日にして之を解了することを得んには如かず已上此の文仏説なり、汝が唱うる所の偈は此の文を謬りたるなり、爾の時に比丘此の偈を得て本師の比丘に語る、本師の云く我汝に教うる所の偈は真の仏説なり阿難が唱うる所の偈は仏説に非ず阿難年老衰して言錯謬多し信ず可らず、此の比丘亦阿難の偈を捨てて本の謬りたる偈を唱う阿難又竹林に入りて之を聞くに我が教うる所の偈に非ず重ねて之を語るに比丘信用せざりき等云云、仏の滅後四十年にさえ既に謬り出来せり何に況んや仏の滅後既に二千余年を過ぎたり、仏法天竺より唐土に至り唐土より日本に至る論師・三蔵・人師等伝来せり定めて謬り無き法は万が一なるか、何に況や当世の学者・偏執を先と為して我慢を挿み火を水と諍い之を糾さず偶仏の教の如く教を宣ぶる学者をも之を信用せず故に謗法ならざる者は万が一なるか。

第二に餓鬼道とは正法念経に云く「昔財を貪りて屠殺せるの者此の報を受く」と、亦云く「丈夫自ら美食を噉い妻子に与えず或は婦人自ら食して夫子に与えざるは此の報を受く」と、亦云く「名利を貪るが為に不浄説法する者此の報を受く」と、亦云く「昔酒を酤に水を加うる者此の報を受く」と、亦云く「若し人労して少物を得たるを誑惑して之を取り用いける者此の報を受く」と、亦云く「昔行路人の病苦ありて疲極せるに其の売を欺き取り直を与うること薄少なりし者此の報を受く」と、又云く「昔刑獄を典主・人の飲食を取りし者此の報を受く」と、亦云く「昔陰凉樹を伐り及び衆僧の園林を伐りし者此の報を受く」と文、法華経に云く「若し人信ぜずして此の


経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」文、慳貪・偸盗等の罪に依つて餓鬼道に堕することは世人知り易し、慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依つて餓鬼道に堕することは智者に非ざれば之を知らず能く能く恐る可きか。

第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」文已上三悪道なり

第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。

第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。

第六に天道とは二有り、欲天には十善を持ちて生れ色無色天には下地は麤苦障・上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり。

問うて云く六道の生因は是くの如し抑同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに何ぞ生盲・聾・瘖瘂・矬陋・癴躃・背傴・貧窮・多病・瞋恚等・無量の差別有りや、答えて云く大論に云く「若は衆生の眼を破り若は衆生の眼を屈り若は正見の眼を破り罪福無しと言わん是の人死して地獄に堕し罪畢つて人と為り生れて従り盲なり、若は復仏塔の中の火珠及び諸の灯明を盗む・是くの如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失うなり○聾とは是れ先世の因縁・師父の教訓を受けず行ぜず而も反つて瞋恚す是の罪を以ての故に聾となる、復次に衆生の耳を截り若は衆生の耳を破り若は仏塔・僧塔諸の善人・福田の中の犍椎・鈴・貝及び鼓を盗む故に此の罪を得るなり、先世に他の舌を截り或は其の口を塞ぎ或は悪薬を与えて語ることを得ざらしめ、或は師の教・父母の教勅を聞き其の語を断つ○


世に生れて人と為り唖にして言うこと能わず○先世に他の坐禅を破り坐禅の舎を破り諸の咒術を以て人を咒して瞋らし闘諍し婬欲せしむ今世に諸の結使厚重なること婆羅門の其の稲田を失い其の婦復死して即時に狂発し裸形にして走りしが如くならん、先世に仏・阿羅漢・辟支仏の食及び父母所親の食を奪えば仏世に値うと雖も猶故飢渇す罪の重きを以ての故なり、○先世に好んで鞭杖・拷掠・閉繋を行じ種種に悩すが故に今世の病を得るなり○先世に他の身を破り其の頭を截り其の手足を斬り種種の身分を破り或は仏像を壊り仏像の鼻及び諸の賢聖の形像を毀り或は父母の形像を破る是の罪を以ての故に形を受くる多く具足せず、復次に不善法の報・身を受くること醜陋なり」文、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○若し人と為ることを得ては諸根闇鈍にして盲・聾・背傴ならん○口の気常に臭く鬼魅に著せられん貧窮下賤にして人に使われ多病瘠痩にして依怙する所無く○若は他の叛逆し抄劫し竊盗せん是くの如き等の罪横に其の殃に羅らん」文。

又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に牙歯疎欠・醜き脣・平める鼻・手脚繚戻し眼目角睞に身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、問うて云く何なる業を修する者が六道に生じて其の中の王と成るや、答えて云く大乗の菩薩戒を持して之を破る者は色界の梵王・欲界の魔王・帝釈・四輪王・禽獣王・閻魔王等と成るなり、心地観経に云く「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳薫修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲○中品に菩薩戒を受持すれば福徳自在の転輪王として心の所作に随つて尽く皆成じ無量の人天悉く遵奉す、下の上品に持すれば大鬼王として一切の非人咸く率伏す戒品を受持して欠犯すと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得下の中品に持すれば禽獣の王として一切の飛走皆帰伏す清浄の戒に於て欠犯有るも戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得、下の下品に持すれば閻魔王として地