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日蓮大聖人・池田大作

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五人所破抄  (7/7) 取捨正見に任す思惟して宜しく解すべし
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六人の上首を定む然りと雖も法門既に二途に分れ門徒亦一准ならず、宿習の至り正師に遇うと雖も伝持の人・自他弁じ難し、能く是の法を聴く者此の人亦復難しと此の言若し堕ちなば将来悲む可し、経文と解釈と宛かも符契の如し迹化の悲歎猶此くの如し本門の墜堕寧ろ愁えざらんや、案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り言う所亦仏意に叶わば五人の謬義甚だ憂う可し取捨正見に任す思惟して宜しく解すべし云云。

此の外支流異義を構え諂曲稍数多なり、其の中に天目の云く、已前の六人の談は皆以て嘲哢すべきの義なり但し富山宜しと雖も亦過失有り迹門を破し乍ら方便品を読むこと既に自語相違せり信受すべきに足らず、若し所破の為と云わば弥陀経をも誦すべけんや云云。

日興が云く、聖人の炳誡の如くんば沙汰の限りに非ずと雖も慢幢を倒さんが為に粗一端を示さん、先ず本迹の相違は汝慥に自発するや去る□□□□正安二年の比天目当所に来つて問答を遂ぐるの刻み日興が立義・一一証伏し畢んぬ、若し正見を存せば尤も帰敬を成すべきの処に還つて方便読誦の難を致す誠に是れ無慚無愧の甚しきなり、夫れ狂言綺語の歌仙を取つて自作に備うる卿相すら尚短才の耻辱と為す、況や終窮究竟の本門を盗み己が徳と称する逆人争か無間の大苦を免れんや、照覧冥に在り慎まずんばあるべからず。

次に方便品の疑難に至つては汝未だ法門の立破を弁ぜず恣に祖師の添加を蔑如す重科一に非ず罪業上の如し、若し知らんと欲せば以前の如く富山に詣で尤も習学の為宮仕を致す可きなり、抑彼等が為に教訓するに非ず正見に任せて二義を立つ、一には所破の為二には文証を借るなり、初に所破の為とは純一無雑の序分には且く権乗の得果を挙げ廃迹顕本の寿量には猶伽耶の近情を明す、此れを以て之を思うに方便称読の元意は只是れ牒破の一段なり、若し所破の為と云わば念仏をも申す可きか等の愚難は誠に四重の興廃に迷い未だ三時の弘経を知らず重畳の狂難嗚呼の至極なり、夫れ諸宗破失の基は天台・伝教の助言にして全く先聖の正意に非ず何ぞ所破の為に読ま


ざるべけんや、経釈の明鏡既に日月の如し天目の暗者邪雲に覆わるる故なり、次に迹の文証を借りて本の実相を顕すなり、此等の深義は聖人の高意にして浅智の覃ぶ所に非ず正機には将に之を伝うべし云云。

  嘉暦三戊辰年七月草案す       日順

日興遺誡置文

夫れ以みれば末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う、於戲仏法に値うこと希にして喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。

一、五人の立義一一に先師の御弘通に違する事。

一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。

一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。

一、謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。

一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。

一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き御抄以下の諸聖教を教学す可き事。


一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。

一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。

一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。

一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。

一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。

一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。

一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。

一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事。

一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。

一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。

一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。

一、衣の墨・黒くすべからざる事。

一、直綴を着す可からざる事。

一、謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事。

一、謗法の供養を請く可からざる事。

一、刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事。

一、若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事。