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日蓮大聖人・池田大作

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妙密上人御消息  (1/5) 大海の初は一露なり
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妙密上人御消息

                    建治二年三月 五十五歳御作

                    与楅谷妙密

青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ五戒の始は不殺生戒・六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒・二百五十戒・十重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば又第一の重罪なり、如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、生をあわれむしるしには命を奪はず施食を修するが第一の戒にて候なり、人に食を施すに三の功徳あり・一には命をつぎ・二には色をまし・三には力を授く、命をつぐは人中・天上に生れては長命の果報を得・仏に成りては法身如来と顕れ其の身虚空と等し、力を授くる故に人中・天上に生れては威徳の人と成りて眷属多し、仏に成りては報身如来と顕れて蓮華の台に居し八月十五夜の月の晴天に出でたるが如し、色をます故に人中・天上に生れては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし、夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祗の母は唯・一なるべし。

されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代・地神五代の後・人王百代・其の初めの王をば神武天皇と申す、神武より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影・僧尼等を渡す、用明天皇の太子の上宮と申せし人・仏法を読み初め法華経を漢土より・とりよせさせ給いて疏を作りて弘めさせ給いき、それより後・人王三十七代・孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人・新羅国より三論宗・成実宗を渡す、同じき御代に道昭と申す僧・漢土より法相宗・倶舎宗を渡す、同じき御代に審祥大徳・華厳宗を渡す、第四十四代・元正天皇の御宇に天竺の上人・大日経を渡す、第四十五代・聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人・漢土より日本国に律宗を渡せし・


次でに天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す、然れども真言宗と法華宗との二宗をば・いまだ弘め給はず、人王第五十代・桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり後には伝教大師と号す、此の人入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間・但一人見置き給いき、後に延暦二十三年七月に漢土に渡り・かへる年の六月に本朝に著かせ給いて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、其の後于今四百年なり、総じて日本国に仏法渡りて于今七百余年なり、或は弥陀の名号或は大日の名号・或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも仏滅後一千年の間・迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等の大論師・仏法を五天竺に弘通せしかども・漢土に仏法渡りて数百年の間・摩騰迦・竺法蘭・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等・或は疏を作り或は経を釈せしかども・いまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず、唯自身一人計り唱へ・或は経を講ずる時・講師計り唱る事あり、然るに八宗・九宗・等其の義まちまちなれども・多分は弥陀の名号・次には観音の名号・次には釈迦仏の名号・次には大日・薬師等の名号をば・唱へ給へる高祖・先徳等はおはすれども・何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱へざりけん、其の故を能く能く尋ね習い給ふべし、譬えば大医の一切の病の根源・薬の浅深は弁へたれども・故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが如し。

されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病・軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか、今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し、又月はいみじけれども秋にあらざれば光を惜む・花は目出けれども春にあらざればさかず、一切・時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか、又仏教を弘るは仏の御使なり・随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、正法千年に出でし論師・像法千年に出づる人師等は・多くは小乗・権大乗・法華経の或は迹門・或は枝葉を譲られし人人なり、


いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給はず、此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時・日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。

然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず・又末葉にもあらず・持戒破戒にも闕て無戒の僧・有智無智にもはづれたる牛羊の如くなる者なり、何にしてか申し初めけん・上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立て・ねごとの様に・心にもあらず・南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、所詮よき事にや候らん・又悪き事にや侍るらん・我もしらず人もわきまへがたきか、但し法華経を開いて拝し奉るに・此の経をば等覚の菩薩・文殊・弥勒・観音・普賢までも輙く一句一偈をも持つ人なし、「唯仏与仏」と説き給へり、されば華厳経は最初の頓説・円満の経なれども法慧等の四菩薩に説かせ給ふ、般若経は又華厳経程こそなけれども当分は最上の経ぞかし、然れども須菩提これを説く、但法華経計りこそ三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ、されば普賢・文殊なりとも輙く一句一偈をも説かせ給うべからず、何に況や末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも自身には持ちがたし、諸宗の元祖等・法華経を読み奉れば各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり、然れども詮を論ずれば慈恩大師は深密経・唯識論を師として法華経をよみ、嘉祥大師は般若経・中論を師として法華経をよむ、杜順・法蔵等は華厳経・十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏・金剛智・不空等は大日経を師として法華経をよむ、此等の人人は各法華経をよめりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を論ずれば伝教大師ことはりて云く「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」云云、例せば外道は仏経をよめども外道と同じ・蝙蝠が昼を夜と見るが如し、又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ・太刀に顔をうつせるもの円かなる面を・ほそながしと思ふに似たり。

今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり・一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、麻の中の蓬・墨うてる