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日蓮大聖人・池田大作

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波木井三郎殿御返事  (1/5) 鳥跡飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲を巻…
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に云く「世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」とは念仏等の不真実に対し南無妙法蓮華経を真実と申す文なり、次下に云く「仏は自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕す此の事は為て不可なり」云云、此の文の意は法華経を仏胸に秘しをさめて観経念仏等の四十余年の経計りを人人に授けて法華経を説かずして黙止するならば我は慳貪の者なり三悪道に堕すべしと云う文なり、仏すら尚唯念仏を行じて一生をすごし法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云、況や末代の凡夫一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし法華経に移つて南無妙法蓮華経と唱えざる者三悪道を免るべきや、第二の巻に云く今此三界等と云云、此の文は日本国六十六箇国嶋二つの大地は教主釈尊の本領なり娑婆以て此くの如く全く阿弥陀の領に非ず、其中衆生悉是吾子と云云、日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり、三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり全く阿弥陀仏の子に非ざるなり。

  文永元年甲子九月 日                日蓮花押

   南部六郎恒長殿

波木井三郎殿御返事

                    文永十年八月 五十二歳御作

                    与 南部六郎三郎

鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等之有り之を召して御尊び有る可し御談義有る可し大事の法門等粗ぼ申す、彼等は日本に未だ流布せざる大法少少之を有す随つて御学問注るし申す可きなり。鳥跡飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲を巻いて明月に向うが如し、但し此の法門当世の人上下を論ぜず信


心を取り難し其の故は仏法を修行するは現世安穏・後生善処等と云云、而るに日蓮法師法華経の行者と称すと雖も留難多し当に知るべし仏意に叶わざるか等云云、但し此の邪難先業の由・御勘気を蒙るの後始めて驚く可きに非ず、其の故は法華経の文を見聞するに末法に入つて教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由・経文赫赫たり眼有らん者は之を見るか、所謂法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云又云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し刀杖瓦礫を加うる有らん」等云云、又云く「悪世の中の比丘」等云云、又云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在る有らん乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」等云云、又云く「常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に国王・大臣・波羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説かん」等云云、又云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」等云云、又云く「数数擯出せらる」等云云、大涅槃経に云く「一闡提・羅漢の像を作し空閑の処に住し方等大乗経典を誹謗すること有るを諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢なり是れ大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「正法滅して後・像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少しく経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養し乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺ふが如し」等云云、又般泥洹経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有り、乃至」等云云、予此の明鏡を捧げ持つて日本国に引き向けて之を浮べたるに一分も陰れ無し或有阿蘭若・納衣在空閑とは何人ぞや為世所恭敬如六通羅漢とは又何人ぞや、諸凡夫見已・皆謂真阿羅漢・是大菩薩とは此れ又誰ぞや、持律少読誦経とは又如何、是の経文の如く仏・仏眼を以て末法の始を照見したまい当世に当つて此等の人人無くんば世尊の謬乱なり、此の本迹二門と雙林の常住と誰人か之を信用せん今日蓮仏語の真実を顕さんが為日本に配当して此の経を読誦するに或有阿蘭若住於空処等と云うは、建長寺・寿福寺・極楽寺・建仁寺・東福寺等の日本国の禅・律・念仏等の寺寺なり、是等の魔


寺は比叡山等の法華・天台等の仏寺を破せん為に出来するなり、納衣持律等とは当世の五・七・九の袈裟を着たる持斎等なり、為世所恭敬是大菩薩とは道隆・良観・聖一等なり、世と云うは当世の国主等なり、有諸無智人諸凡夫人等とは日本国中の上下万人なり、日蓮凡夫たる故に仏教を信ぜず但し此の事に於ては水火の如く手に当てて之を知れり、但し法華経の行者有らば悪口・罵詈・刀杖・擯出等せらる可し云云、此の経文を以て世間に配当するに一人も之れ無し誰を以てか法華経の行者と為さん敵人は有りと雖も法華経の持者は無し、譬えば東有つて西無く天有つて地無きが如し仏語妄説と成るを如何、予自讃に似たりと雖も之を勘え出して仏語を扶持す所謂日蓮法師是なり、其の上仏・不軽品に自身の過去の現証を引いて云く爾の時に一りの菩薩有り常不軽と名く等云云、又云く悪口罵詈等せらる、又云く或は杖木瓦石を以て之を打擲す等云云、釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ、日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る当来の妙果之を疑う可しや、如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したもうの時にすら猶留難多し、所謂付法蔵第二十の提婆菩薩第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頸を刎らる、第八の仏駄密多・第十三の竜樹菩薩等は赤き旛を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり、竺の道生は蘇山に流され法祖は害を加えられ法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵嘖せられ天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す、此等は皆王の賢愚に当るに依つて用取有るのみ敢て仏意に叶わざるに非ず正像猶以て是くの如し何に況や末法に及ぶにおいてをや、既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり、但し歎くらくは仁王経に云く「聖人去る時・七難必ず起る」等云云、七難とは所謂大旱魃・大兵乱等是なり、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、愛悪人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の諸人なり治罰善人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の数数