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日蓮大聖人・池田大作

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一谷入道御書  (4/5) 地頭も又をそろしなんど思いて直ちに法華経に…
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の敵よりも悪げにありしに・宿の入道と云ひ・妻と云ひ・つかう者と云ひ・始はおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内内・不便と思ふ心付きぬ、預りより・あづかる食は少し付ける弟子は多くありしに・僅の飯の二口三口ありしを或はおしきに分け或は手に入て食しに・宅主・内内・心あつて外には・をそるる様なれども・内には不便げにありし事・何の世にかわすれん、我を生みておはせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか、何なる恩をも・はげむべし・まして約束せし事たがうべしや。

然れども入道の心は後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ、其の上阿弥陀堂を造り田畠も其の仏の物なり、地頭も又をそろしなんど思いて直ちに法華経にはならず、是は彼の身には第一の道理ぞかし、然れども又無間大城は疑無し、設ひ是より法華経を遣したりとも世間も・をそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合せたるが如し、謗法の大水・法華経を信ずる小火を・けさん事疑なかるべし、入道・地獄に堕つるならば還つて日蓮が失になるべし、如何んがせん如何んがせんと思いわづらひて今まで法華経を渡し奉らず、渡し進せんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば・鎌倉の焼亡に取り失ひ参せて候由申す、旁入道の法華経の縁はなかりけり、約束申しける我が心も不思議なり、又我とは・すすまざりしを鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に口入有りし事なげかし、本銭に利分を添えて返さんとすれば・又弟子が云く御約束違ひなんど申す、旁進退極りて候へども人の思わん様は狂惑の様なるべし、力及ばずして法華経を一部十巻・渡し奉る、入道よりもうばにて・ありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ。

日蓮が申す事は愚なる者の申す事なれば用ひず、されども去る文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに対馬の者かためて有りしに・宗総馬尉逃ければ百姓等は男をば或は殺し或は生取にし・女をば或は取り集めて手をとをして船に結い付け・或は生け取にす・一人も助かる者なし、壹岐によせても又是くの如し、船おしよ


せて有りけるには奉行入道・豊前前司は逃げて落ちぬ、松浦党は数百人打たれ或は生け取にせられしかば・寄せたりける浦浦の百姓ども壹岐対馬の如し、又今度は如何が有るらん彼の国の百千万億の兵・日本国を引回らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ、北の手は先ず佐渡の島に付いて地頭・守護をば須臾に打ち殺し百姓等は北山へにげん程に或は殺され或は生け取られ或は山にして死ぬべし、抑是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし、前に申しつるが如く此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり、是は梵王・帝釈・日月・四天の彼の蒙古国の大王の身に入らせ給いて責め給うなり。

日蓮は愚なれども釈迦仏の御使・法華経の行者なりとなのり候を・用いざらんだにも不思議なるべし、其の失に依つて国破れなんとす、況や或は国国を追ひ・或は引はり・或は打擲し・或は流罪し・或は弟子を殺し・或は所領を取る、現の父母の使を・かくせん人人よかるべしや、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし・是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし、たのもし・たのもし。

抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給うべき、此の法華経をいただき頸にかけさせ給いて北山へ登らせ給うとも・年比念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給いて有りし事は久しし、又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給うなよ、又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき、おこがましき事とはおぼすとも其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ、又是はさてをきぬ、此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給うべし、人如何に云うとも念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給うべからず、又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず、恐恐謹言。

  五月八日                      日蓮花押

   一谷入道女房


中興入道消息

                    弘安二年十一月三十日 五十八歳御作

                    与 中興入道女房

鵞目一貫文送り給い候い了んぬ・妙法蓮華経の御宝前に申し上げ候い了んぬ、抑日本国と申す国は須弥山よりは南・一閻浮提の内・縦広七千由旬なり、其の内に八万四千の国あり、所謂五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国・微塵の島島あり、此等の国国は皆大海の中にあり・たとへば池にこのはのちれるが如し、此の日本国は大海の中の小島なり・しほみてば見へず・ひればすこしみゆるかの程にて候いしを・神のつき出させ給いて後・人王のはじめ神武天皇と申せし大王をはしましき、それよりこのかた三十余代は仏と経と僧とは・ましまさず・ただ人と神とばかりなり、仏法をはしまさねば地獄もしらず、浄土もねがはず、父母兄弟のわかれありしかども・いかんが・なるらん、ただ露のきゆるやうに日月のかくれさせ給うやうに・うちをもいて・ありけるが・然るに人王第三十代・欽明天皇と申す大王の御宇に・此の国より戌亥の角に当りて百済国と申す国あり、彼の国よりせいめい王と申せし王・金銅の釈迦仏と・此の仏の説かせ給へる一切経と申すふみと・此をよむ僧をわたしてありしかば・仏と申す物も・いきたる物にもあらず、経と申す物も外典の文にもにず、僧と申す物も物はいへども道理もきこへず・形も男女にもにざりしかば・かたがた・あやしみ・をどろきて左右の大臣・大王の御前にしてとかう僉議ありしかども・多分はもちうまじきにてありしかば、仏はすてられ僧はいましめられて候いしほどに・用明天皇の御子・聖徳太子と申せし人びだつの二年二月十五日・東に向いて南無釈迦牟尼仏と唱えて御舎利を御手より出し給いて・同六年に法華経を読誦し給ふ、それよりこのかた七百余年・王は六十余代に及ぶまで・やうやく仏法ひろまり候いて・日本六十六箇国・二つの島にいたらぬ国もなし、国国・郡郡・郷郷・里里・村村に堂塔と申し寺寺と申し仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり、日月の如くあきらかなる智者・代代に仏法をひろめ衆星のごとく・かが