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日蓮大聖人・池田大作

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日女御前御返事  (2/6) 善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰…
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がごとく・身をたいて仏を供養し・後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし・法華経を御供養候き。

されば今法華経を後五百歳の女人供養せば其の功徳を一分ものこさずゆづるべし、譬えば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし、妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり、昔の雲雷音王仏の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり、昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり、釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して・末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云、観音品と申すは又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候、此を観音品と名づく・後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり此を普門品と名く、陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり、二聖と申すは薬王と勇施となり・二天と申すは毘沙門と持国天となり・十羅刹女と申すは十人の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり・又十羅刹女の母あり・鬼子母神是なり、鬼のならひとして人を食す、人に三十六物あり所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、而るに下品の鬼神は糞等を食し・中品の鬼神は骨等を食す・上品の鬼神は精気を食す、此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す、今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき・此を答ふべき様は一には善鬼なり梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す、二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す、善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰するがごとし、悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし、例せば日本国に仏法の渡りてありし時・仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき・蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども・外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども・仏と法との信はうすく神の信はあ


つかりしかば・強きにひかれて三代の国王・疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき、此をもて上の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし、されば身をすてて信ぜん人人は・やまぬへんもあるべし・又やむともたすかるへんもあるべし、又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし、例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。

又日本国の一切の真言師の悪霊となれると・並に禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり、又梵釈・日月・十羅刹の眷属・日本国に乱入せり、両方互に責めとらんとはげむなり、而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば・一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に・法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候は・かへりてそしるにて候なり、又余の宗宗も此を以て押し計るべし、又法華経をば経のごとく持つ人人も・法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或は・しなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり、例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり、父が我がいとをしきめをとり母が我がいとをしきおとこを奪ふとも子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり、何に況や父母にまされる賢王に背かんをや、何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや。

黄河は千年に一度すむといへり・聖人は千年に一度出ずるなり、仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うといへども法華経には値いがたし、設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破


れん」云云、今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、聖人の国にあるを・あだむゆへと見えたり、師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ今一分は身はやまざれども心はやみぬ、又頭も顕にも冥にも破ぬらん、罰に四あり総罰・別罰・冥罰・顕罰なり、聖人をあだめば総罰一国にわたる又四天下・又六欲・四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。

設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんは・いか程の功徳かあるべき、誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか、日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方・一切の仏の中には阿弥陀仏・一切の行の中には弥陀の名号・此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり・一向なる人もありしに、某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間・遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て・近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に・上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、或は師師に問い・或は主主に訴へ・或は傍輩にかたり・或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡・郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様・法華経叶ひがたき事・諸人のいみじき様・日蓮わろき様を申す程に・上もあだみ下も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、かう申せば日本国の人人・並に日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、此は仏法の道理を信じたる男女