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日蓮大聖人・池田大作

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富木殿御返事 
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始の業障忽ちに消え心性の妙蓮忽ちに開き給うか然して後に随分仏事を為し事故無く還り給う云云、恐恐謹言。

  富木入道殿

富木殿御返事

                    建治二年十一月 五十五歳御作

鵞目一結天台大師の御宝前を荘厳し候い了んぬ、経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と、又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」伝教大師も「讃者は福を安明に積み謗者は罪を無間に開く」等云云、記の十に云く「方便の極位に居る菩薩猶尚第五十人に及ばず」等云云、華厳経の法慧功徳林大日経の金剛薩埵等尚法華経の博地に及ばず何に況や其の宗の元祖等法蔵善無畏等に於てをや、是れは且く之を置く、尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり、此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯に油をそへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり、又をもいわするる事もやと・いよ房に申しつけて候ぞ、たのもしとをぼしめせ、恐恐。

  十一月二十九日                   日蓮花押

   富木殿御返事


道場神守護事

                    建治二年十二月 五十五歳御作

鵞目五貫文慥に送り給び候い了ぬ、且つ知食すが如く此の所は里中を離れたる深山なり衣食乏少の間読経の声続き難く談義の勤め廃しつ可し、此の託宣は十羅刹の御計にて檀那の功を致さしむるか、止観の第八に云く「帝釈堂の小鬼敬い避くるが如し道場の神大なれば妄りに侵嬈すること無し、又城の主剛ければ守る者も強し城の主恇れば守る者忙る、心は是れ身の主なり同名同生の天是れ能く人を守護す心固ければ則ち強し身の神尚爾なり況や道場の神をや」弘決の第八に云く「常に人を護ると雖も必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」又云く「身の両肩の神尚常に人を護る況や道場の神をや」云云、人所生の時より二神守護す所謂同生天同名天是を倶生神と云う華厳経の文なり、文句の四に云く「賊南無仏と称して尚天頭を得たり況や賢者称せば十方の尊神敢て当らざらんや但精進せよ懈怠すること勿れ」等云云、釈の意は月氏天を崇めて仏を用いざる国あり而るに寺を造り第六天の魔王を主とす頭は金を以てす大賊年来之を盗まんとして得ず有時仏前に詣で物を盗んで法を聴く、仏説いて云く南無とは驚覚の義也盗人之を聞いて南無仏と称して天頭を得たり、之を糾明する処盗人上の如く之を申す一国皆天を捨てて仏に帰せり云云、彼を以て之を推するに設い科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか、而るに今示し給える託宣の状は兼て之を知る之を案ずるに難を郤て福の来る先兆ならんのみ、妙法蓮華経の妙の一字は竜樹菩薩の大論に釈して云く「能く毒を変じて薬と為す」と云云、天台大師の云く「今経に記を得る即ち毒を変じて薬と為すなり」と云云、災来るとも変じて幸と為らん何に況や十羅刹之を兼るをや、薪火を熾にし風求羅を益すとは是なり、言は紙上に尽し難し心を以て之を量れ、恐恐謹言。

  十二月十三日            日蓮花押

   御返事


常忍抄

                    建治三年十月 五十六歳御作

御文粗拝見仕り候い了んぬ。御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故に至るまでは為の字去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は去声実の為の故なり」と云云、寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり、此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝ぐる等云云、此の人人・天に向つて唾を吐き地を爴んで忿を為す者か。

此の法門に於て如来滅後・月氏一千五百余年・付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台・妙楽等粗之を演ぶ、然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師