Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (8/52) 自受用身とは一念三千なり
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第二十 得入無上道等の事

御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり云云。

第廿一 自我偈の事

御義口伝に云く自とは九界なり我とは仏身なり偈とはことわるなり本有とことわりたる偈頌なり深く之を案ず可し、偈様とは南無妙法蓮華経なり云云。

第廿二 自我偈始終の事

御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第廿三 久遠の事

御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。

第廿四 此の寿量品の所化の国土と修行との事

御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行と


は無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云。

第廿五 建立御本尊等の事

御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

第廿六 寿量品の対告衆の事

御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「為彼除悪即是彼親」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。

第廿七 無作三身の事

種子尊形三摩耶

御義口伝に云く尊形とは十界本有の形像なり三摩耶とは十界所持の物なり種子とは信の一字なり、所謂南無妙法蓮華経改めざるを云うなり三摩耶とは合掌なり秘す可し秘す可し云云。

       分別功徳品三箇の大事

第一 其有衆生聞仏寿命長遠如是乃至能生一念信解所得功徳無有限量の事

御義口伝に云く一念信解の信の一字は一切智慧を受得する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり、信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり解とは事顕本を解するなり此


の事理の顕本を一念に信解するなり、一念とは無作本有の一念なり、此くの如く信解する人の功徳は限量有る事有る可からざるなり、信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第二 是則能信受如是諸人等頂受此経典の事

御義口伝に云く法華経を頭に頂くと云う明文なり、如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり、然らば三世十方の諸仏は妙法蓮華経を頂き受けて成仏し給う、仍つて上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり秘す可し云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此の故なり云云。

第三 仏子住此地則是仏受用の事

御義口伝に云く此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身の依地なり仏子とは法華の行者なり仏子は菩薩なり法華の行者は菩薩なり住とは信解の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は妙法の地に住するなり仏の受用の身なり深く之を案ず可し云云。

       随喜品二箇の大事

第一 妙法蓮華経随喜功徳の事

御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙