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日蓮大聖人・池田大作

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太田入道殿御返事  (2/3) 世尊・大悲導師・阿闍世王のために月愛三昧に…
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体瘡を生ず其の瘡臭穢にして附近すべからず、爾の時に其の母韋提希と字く種種の薬を以て而も為に之を傅く其の瘡遂に増して降損有ること無し、王即ち母に白す是くの如きの瘡は心よりして生ず四大より起るに非ず若し衆生能く治する者有りと言わば是の処有ること無けん云云、爾の時に世尊・大悲導師・阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」云云、平等大慧妙法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」云云。

已上上の諸文を引いて惟に御病を勘うるに六病を出でず其の中の五病は且らく之を置く第六の業病最も治し難し、将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず就中・法華誹謗の業病最第一なり、神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱き持水・流水・耆婆・維摩も口を閉ず、但し釈尊一仏の妙経の良薬に限つて之を治す、法華経に云く上の如し、大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば乃至此の正法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし」云云、荊谿大師の云く「大経に自ら法華を指して極と為す」云云、又云く「人の地に倒れて還つて地に従りて起つが如し故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云、世親菩薩は本小乗の論師なり五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る後に無著菩薩に値い奉りて忽に邪見を飜えし一時此の罪を滅せんが為に著に向つて舌を切らんと欲す、著止めて云く汝其の舌を以て大乗を讃歎せよと、親忽に五百部の大乗論を造つて小乗を破失す、又一の願を制立せり我一生の間小乗を舌の上に置かじと、然して後罪滅して弥勒の天に生ず、馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列れり本外道の長たりし時勒比丘と内外の邪正を論ずるに其の心言下に解けて重科を遮せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す所謂我・我に敵して堕獄せしむ、勒比丘・諫め止めて云く汝頭を切ること勿れ其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよと、鳴急に起信


論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠・三論宗の元祖なり呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人・謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間・薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず、大師の滅後隋帝に往詣し雙足を挍摂し涙を流して別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱す業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す、夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言・已今当の明珠諸経の頂に居す、経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の云く「仏立宗」云云。

予随分・大・金・地等の諸の真言の経を勘えたるに敢えて此の文の会通の明文無し但畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり是に知んぬ釈尊・大日の本意は限つて法華の最上に在るなり、而るに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時・畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了んぬ、法華・真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の螢火を顕し剰え法華経を罵詈して曰く戯論なり無明の辺域なり、自害の謬悞に曰く大日経は戯論なり無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか、之に依つて日本久しく闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。

抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も将た又檀那の所従なり身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月重なる設い大山は頽れ設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか、然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか、彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり、仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち兼ては又千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり、此の禅門の悪瘡


は但謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや、此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人・一乗妙経は綺語の典なり・名を惜しみ給わば世尊験を顕し・誓を恐れ給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾か云う書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、恐恐。

  十一月三日                     日蓮花押

   太田入道殿御返事

乗明聖人御返事

                    建治三年四月 五十六歳御作

                    与 大田乗明

相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ、昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり、今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と、法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや、但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし、譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ、恐恐謹言。

  卯月十二日                     日蓮花押

   乗明聖人御返事