Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三沢御房御返事 
1486

なし、この長者もといをを・ころしてあきなへて長者となりしゆへに・この寺つゐにうせにき、今の人人の善根も又かくのごとく・大なるやうなれども・あるひは・いくさをして所領を給或はゆへなく民をわづらはして・たからをまうけて善根をなす、此等は大なる仏事とみゆれども仏にもならざる上其の人人あともなくなる事なり。

又人をも・わづらはさず我が心もなをしく我とはげみて善根をして候も仏にならぬ事もあり、いはくよきたねをあしき田にうえぬれば・たねだにもなき上かへりて損となる、まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。

此れは日蓮を御くやうは候はず法華経の御くやうなれば釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候、抑今年の事は申しふりて候上当時はとしのさむき事生れて已来いまだおぼへ候わず、ゆきなんどのふりつもりて候事おびただし、心ざしある人もとぶらひがたし、御をとづれをぼろげの御心ざしにあらざるか、恐恐謹言。

  十二月二十七日                   日蓮花押

   くぼの尼御前御返事

三沢御房御返事

                    文永十二年 五十四歳御作

                    与 三沢小次郎

佐渡の国の行者数多此の所まで下向ゆへに今の法門説き聞かせ候えば未来までの仏種になる事是れ皆釈尊の法恩ありがたし、越後にて此の歌詠じ候ゆへ書き送り候なり。

  おのづから・よこしまに・降雨はあらじ・風こそ夜の・窻をうつらめ。

  二十一日


三沢抄

                    建治四年二月 五十七歳御作

                    与 三沢小次郎

かへすがへす・するがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。柑子一百・こぶ・のり・をご等の生の物はるばると・わざわざ山中へをくり給いて候、ならびに・うつぶさの尼ごぜんの御こそで一給い候い了んぬ。さては・かたがたのをほせくはしくみほどき候。

抑仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれども・まことに仏になる人は爪の上の土よりも・すくなしと・大覚世尊・涅槃経にたしかに・とかせ給いて候いしを、日蓮みまいらせ候て・いかなれば・かくわ・かたかるらむと・かんがへ候いしほどに・げにも・さならむとをもう事候、仏法をばがくすれども或は我が心のをろかなるにより或はたとひ智慧は・かしこき・やうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし、たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す、設ひ・からくして六は・すぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし、其の六は且くをく第七の大難は天子魔と申す物なり、設い末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならば・かれが我が身の生死をいづるかは・さてをきぬ・又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・そ


れに・かなわずば・かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ・それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎし候なり。

日蓮さきより・かかるべしと・みほどき候いて末代の凡夫の今生に仏になる事は大事にて候いけり釈迦仏の仏にならせ給いし事を経経にあまたとかれて候に第六天の魔王の・いたしける大難いかにも忍ぶべしとも・みへ候はず候、提婆達多・阿闍世王の悪事は・ひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみて候へ、まして如来現在・猶多怨嫉・況滅度後と申して大覚世尊の御時の御難だにも凡夫の身・日蓮にかやうなる者は片時一日も忍びがたかるべし、まして五十余年が間の種種の大難をや、まして末代には此等は百千万億倍すぐべく候なる大難をば・いかでか忍び候べきと心に存して候いしほどに・聖人は未萠を知ると申して三世の中に未来の事を知るを・まことの聖人とは申すなり、而るに日蓮は聖人にあらざれども日本国の今の代にあたりて・此の国亡亡たるべき事をかねて知りて候いしに・此れこそ仏のとかせ給いて候・況滅度後の経文にあたりて候へ、此れを申しいだすならば仏の指させ給いて候未来の法華経の行者なり、知りて而かも申さずば世世・生生の間・をうしことどもり生ん上教主釈尊の大怨敵其の国の国主の大讎敵・他人にあらず、後生は又無間大城の人・此れなりとかんがへみて・或は衣食にせめられ或は父母・兄弟・師匠・同行にもいさめられ或は国主万民にも・をどされしに・すこしもひるむ心あるならば一度に申し出ださじと・としごろひごろ心をいましめ候いしが・抑過去遠遠劫より定めて法華経にも値い奉り菩提心もをこしけん、なれども設い一難二難には忍びけれども大難次第につづき来りければ退しけるにや、今度いかなる大難にも退せぬ心ならば申し出すべしとて申し出して候いしかば・経文にたがわず此の度度の大難にはあいて候いしぞかし。