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日蓮大聖人・池田大作

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忘持経事  (2/2) 我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十…
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天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり、親に背いて敵に付き刀を持ちて自を破る此等は且く之を置く。

夫れ常啼菩薩は東に向つて般若を求め善財童子は南に向いて華厳を得る雪山の小児は半偈に身を投げ楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ、此等は皆上聖大人なり其の迹を撿うるに地・住に居し其の本を尋ぬれば等妙なるのみ・身は八熱に入つて火坑三昧を得・心は八寒に入つて清涼三昧を証し身心共に苦無し、譬えば矢を放つて虚空を射石を握つて水に投ずるが如し。

今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり、身は俗に非ず道に非ず禿居士心は善に非ず悪に非ず羝羊のみ、然りと雖も一人の悲母堂に有り朝に出で主君に詣で夕に入て私宅に返り営む所は悲母の為め存する所は孝心のみ、而るに去月下旬の比・生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く此に貴辺と歎いて言く齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も倩事の心を案ずるに去つて後来る可からず何れの月日をか期せん二母国に無し今より後誰をか拝す可き、離別忍び難きの間舎利を頸に懸け足に任せて大道に出で下州より甲州に至る其の中間往復千里に及ぶ国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱・所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり高山に登れば頭を天に捽ち幽谷へ下れば足雲を踏む鳥に非れば渡り難く鹿に非れば越え難し眼眩き足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞の大峰も只今なりと云云、然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を触れて室に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む、我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり、譬えば種子と菓子と身と影との如し教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道・吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり、是の如く観ずる時・無


始の業障忽ちに消え心性の妙蓮忽ちに開き給うか然して後に随分仏事を為し事故無く還り給う云云、恐恐謹言。

  富木入道殿

富木殿御返事

                    建治二年十一月 五十五歳御作

鵞目一結天台大師の御宝前を荘厳し候い了んぬ、経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と、又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」伝教大師も「讃者は福を安明に積み謗者は罪を無間に開く」等云云、記の十に云く「方便の極位に居る菩薩猶尚第五十人に及ばず」等云云、華厳経の法慧功徳林大日経の金剛薩埵等尚法華経の博地に及ばず何に況や其の宗の元祖等法蔵善無畏等に於てをや、是れは且く之を置く、尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり、此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯に油をそへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり、又をもいわするる事もやと・いよ房に申しつけて候ぞ、たのもしとをぼしめせ、恐恐。

  十一月二十九日                   日蓮花押

   富木殿御返事


道場神守護事

                    建治二年十二月 五十五歳御作

鵞目五貫文慥に送り給び候い了ぬ、且つ知食すが如く此の所は里中を離れたる深山なり衣食乏少の間読経の声続き難く談義の勤め廃しつ可し、此の託宣は十羅刹の御計にて檀那の功を致さしむるか、止観の第八に云く「帝釈堂の小鬼敬い避くるが如し道場の神大なれば妄りに侵嬈すること無し、又城の主剛ければ守る者も強し城の主恇れば守る者忙る、心は是れ身の主なり同名同生の天是れ能く人を守護す心固ければ則ち強し身の神尚爾なり況や道場の神をや」弘決の第八に云く「常に人を護ると雖も必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」又云く「身の両肩の神尚常に人を護る況や道場の神をや」云云、人所生の時より二神守護す所謂同生天同名天是を倶生神と云う華厳経の文なり、文句の四に云く「賊南無仏と称して尚天頭を得たり況や賢者称せば十方の尊神敢て当らざらんや但精進せよ懈怠すること勿れ」等云云、釈の意は月氏天を崇めて仏を用いざる国あり而るに寺を造り第六天の魔王を主とす頭は金を以てす大賊年来之を盗まんとして得ず有時仏前に詣で物を盗んで法を聴く、仏説いて云く南無とは驚覚の義也盗人之を聞いて南無仏と称して天頭を得たり、之を糾明する処盗人上の如く之を申す一国皆天を捨てて仏に帰せり云云、彼を以て之を推するに設い科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか、而るに今示し給える託宣の状は兼て之を知る之を案ずるに難を郤て福の来る先兆ならんのみ、妙法蓮華経の妙の一字は竜樹菩薩の大論に釈して云く「能く毒を変じて薬と為す」と云云、天台大師の云く「今経に記を得る即ち毒を変じて薬と為すなり」と云云、災来るとも変じて幸と為らん何に況や十羅刹之を兼るをや、薪火を熾にし風求羅を益すとは是なり、言は紙上に尽し難し心を以て之を量れ、恐恐謹言。

  十二月十三日            日蓮花押

   御返事