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日蓮大聖人・池田大作

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聖愚問答抄 上  (1/13) いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中さこ…
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聖愚問答抄上

                    文永二年 四十四歳御作

夫れ生を受けしより死を免れざる理りは賢き御門より卑き民に至るまで人ごとに是を知るといへども実に是を大事とし是を歎く者千万人に一人も有がたし、無常の現起するを見ては疎きをば恐れ親きをば歎くといへども先立つははかなく留るはかしこきやうに思いて昨日は彼のわざ今日は此の事とて徒らに世間の五慾にほだされて白駒のかげ過ぎやすく羊の歩み近づく事をしらずして空しく衣食の獄につながれ徒らに名利の穴にをち三途の旧里に帰り六道のちまたに輪回せん事心有らん人誰か歎かざらん誰か悲しまざらん。

嗚呼・老少不定は娑婆の習ひ会者定離は浮世のことはりなれば始めて驚くべきにあらねども正嘉の初め世を早うせし人のありさまを見るに或は幼き子をふりすて或は老いたる親を留めをき、いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中さこそ悲しかるらめ行くもかなしみ留るもかなしむ、彼楚王が神女に伴いし情を一片の朝の雲に残し劉氏が仙客に値し思いを七世の後胤に慰む予か如き者底に縁つて愁いを休めん、かかる山左のいやしき心なれば身には思のなかれかしと云いけん人の古事さへ思い出でられて末の代のわすれがたみにもとて難波のもしほ草をかきあつめ水くきのあとを形の如くしるしをくなり。

悲しいかな痛しいかな我等無始より已来無明の酒に酔て六道・四生に輪回して或時は焦熱・大焦熱の炎にむせび或時は紅蓮・大紅蓮の氷にとぢられ或時は餓鬼・飢渇の悲みに値いて五百生の間飲食の名をも聞かず、或時は畜生・残害の苦みをうけて小さきは大きなるに・のまれ短きは長きに・まかる是を残害の苦と云う、或時は修羅・闘諍の苦をうけ或時は人間に生れて八苦をうく生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦等なり或時は天


上に生れて五衰をうく、此くの如く三界の間を車輪のごとく回り父子の中にも親の親たる子の子たる事をさとらず夫婦の会遇るも会遇たる事をしらず、迷へる事は羊目に等しく暗き事は狼眼に同し、我を生たる母の由来をもしらず生を受けたる我が身も死の終りをしらず、嗚呼受け難き人界の生をうけ値い難き如来の聖教に値い奉れり一眼の亀の浮木の穴にあへるがごとし、今度若し生死のきづなをきらず三界の籠樊を出でざらん事かなしかるべし・かなしかるべし。

爰に或る智人来りて示して云く汝が歎く所実に爾なり此くの如く無常のことはりを思い知り善心を発す者は麟角よりも希なり、此のことはりを覚らずして悪心を発す者は牛毛よりも多し、汝早く生死を離れ菩提心を発さんと思はば吾最第一の法を知れり志あらば汝が為に之を説いて聞かしめん、其の時愚人座より起つて掌を合せて云く我は日来外典を学し風月に心をよせて・いまだ仏教と云う事を委細にしらず願くば上人我が為に是を説き給へ、其の時上人の云く汝耳を伶倫が耳に寄せ目を離朱が眼にかつて心をしづめて我が教をきけ汝が為に之を説かん夫れ仏教は八万の聖教多けれども諸宗の父母たる事・戒律にはしかずされば天竺には世親・馬鳴等の薩埵・唐土には慧曠・道宣と云いし人・是を重んず、我が朝には人皇四十五代・聖武天皇の御宇に鑒真和尚・此の宗と天台宗と両宗を渡して東大寺の戒壇之を立つ爾しより已来当世に至るまで崇重年旧り尊貴日に新たなり、就中極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで生身の如来と是を仰ぎ奉る彼の行儀を見るに実に以て爾なり、飯嶋の津にて六浦の関米を取つては諸国の道を作り七道に木戸をかまへて人別の銭を取つては諸河に橋を渡す慈悲は如来に斉しく徳行は先達に越えたり、汝早く生死を離れんと思はば五戒・二百五十戒を持ち慈悲をふかくして物の命を殺さずして良観上人の如く道を作り橋を渡せ是れ第一の法なり、汝持たんや否や。

愚人弥掌を合せて云く能く能く持ち奉らんと思ふ具に我が為に是を説き給へ抑五戒・二百五十戒と云う事


は我等未だ存知せず委細に是を示し給へ、智人云く汝は無下に愚かなり五戒・二百五十戒と云う事をば孩児も是をしる然れども汝が為に之を説かん、五戒とは一には不殺生戒・二には不偸盗戒・三には不妄語戒・四には不邪淫戒・五には不飲酒戒是なり、二百五十戒の事は多き間之を略す、其の時に愚人・礼拝恭敬して云く我今日より深く此の法を持ち奉るべし。

爰に予が年来の知音・或所に隠居せる居士一人あり予が愁歎を訪わん為に来れるが始には往事渺茫として夢に似たる事をかたり終には行末の冥冥として弁え難き事を談ず欝を散し思をのべて後予に問うて云く抑人の世に有る誰か後生を思はざらん、貴辺何なる仏法をか持ちて出離をねがひ又亡者の後世をも訪い給うや、予答えて云く一日或る上人来つて我が為に五戒・二百五十戒を授け給へり実に以て心肝にそみて貴し、我深く良観上人の如く及ばぬ身にもわろき道を作り深き河には橋をわたさんと思へるなり、其の時居士・示して云く汝が道心貴きに似て愚かなり、今談ずる処の法は浅ましき小乗の法なり、されば仏は則ち八種の喩を設け文殊は又十七種の差別を宣べたり或は螢火・日光の喩を取り或は水精・瑠璃の喩あり爰を以て三国の人師も其の破文一に非ず、次に行者の尊重の事必ず人の敬ふに依つて法の貴きにあらず・されば仏は依法不依人と定め給へり、我伝え聞く上古の持律の聖者の振舞は殺を言い収を言うには知浄の語有り行雲廻雪には死屍の想を作す而るに今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。

愚人色を作して云く汝が智分をもつて上人を謗し奉り其の法を誹る事謂れ無し知つて云うか愚にして云うかおそろし・おそろし、其の時居士笑つて云く嗚呼おろかなり・おろかなり彼の宗の僻見をあらあら申すべし、抑教に