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日蓮大聖人・池田大作

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中務左衛門尉殿御返事  (1/2) 又此の法門の一行いかなる本意なき事ありとも…
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陰徳陽報御書

いよいよかない候べし、いかにわなくとも・きかぬやうにてをはすべし、此の事をみ候に申すやうに・だに・ふれまわせ給うならば・なをも所領も・かさなり人のをぼへも・いできたり候べしと・をぼへ候、さきざき申し候いしやうに陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ主もいかんぞをぼせしかどもわどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすれば・かかるりしやうにも・あづからせ給うぞかし・此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ、又此の法門の一行いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、大人には・いのりなしまいらせ候べし、上に申す事私の事にはあらず外典三千・内典五千の肝心の心をぬきて・かきて候、あなかしこ・あなかしこ・恐恐謹言。

  卯月二十三日                    日蓮在御判

   御返事

中務左衛門尉殿御返事

                    弘安元年六月 五十七歳御作

夫れ人に二病あり、一には身の病所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一・已上四百四病・此の病は治水・流水・耆婆・偏鵲等の方薬をもつて此れを治す、二には心の病所謂三毒・乃至八万四千の病なり、仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし何に況や神農黄帝の力及ぶべしや、又心の病に重重の浅深分れたり六道の凡夫の三毒・八万


四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此れを治す大乗の華厳・般若・大日経等の経経をそしりて起る三毒八万の病をば小乗をもつて此れを治すればかへりては増長すれども平愈全くなし、大乗をもつて此れを治すべし、又諸大乗経の行者の法華経を背きて起る三毒・八万の病をば華厳・般若・大日経・真言三論等をもつて此れを治すれば・いよいよ増長す、譬へば木石等より出でたる火は水をもつて消しやすし・水より起る火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上りて高くあがる、今の日本国去今年の疫病は四百四病にあらざれば華陀偏鵲が治も及ばず小乗権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人人のいのりも叶はず・かへりて増長するか、設い今年は・とどまるとも年年に止がたからむか、いかにも最後に大事出来して後定まる事も候はんずらむ、法華経に云く「若し医道を修して方に順つて病を治せば更に他の疾を増し或は復死を致さん而も復増劇せん」涅槃経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王○偏体に瘡を生じ乃至是くの如き創は心に従て生ず、四大より起るに非ず、若し衆生能く治する者有りと言はば是の処有ること無けん」云云、妙楽の云く「智人は起を知り・蛇は自ら蛇を識る」云云、此の疫病は阿闍世王の瘡の如し彼の仏に非ずんば治し難し此の法華に非ずんば除き難し、将又日蓮下痢去年十二月卅日事起り今年六月三日四日日日に度をまし月月に倍増す定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来日日月月に減じて今百分の一となれり、しらず教主釈尊の入りかわり・まいらせて日蓮をたすけ給うか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり、くはしくは筑後房申すべく候。

又追つて申す・きくせんは今月二十五日戌の時来りて候・種種の物かずへつくしがたし、ときどののかたびらの申し給わるべし、又女房の御ををちの御事なげき入つて候よし申し給ふべし、恐恐。

  六月廿六日                     日蓮花押

   中務左衛門尉殿御返事


四条金吾殿御返事

                    弘安元年九月 五十七歳御作

銭一貫文給いて頼基がまいらせ候とて法華経の御宝前に申し上げて候、定めて遠くは教主釈尊・並に多宝・十方の諸仏・近くは日月の宮殿にわたらせ給うも御照覧候ぬらん、さては人のよに・すぐれんとするをば賢人・聖人と・をぼしき人人も皆そねみ・ねたむ事に候、いわうや常の人をや、漢皇の王昭君をば三千のきさき是をそねみ帝釈の九十九億那由佗のきさきは憍尸迦をねたむ、前の中書王をば・をのの宮の大臣是をねたむ、北野の天神をば時平のおとど是をざんそうして流し奉る、此等をもて・をぼしめせ、入道殿の御内は広かりし内なれども・せばくならせ給いきうだちは多くわたらせ給う、内のとしごろの人人・あまたわたらせ給へば池の水すくなくなれば魚さわがしく秋風立てば鳥こずえをあらそう様に候事に候へば、いくそばくぞ御内の人人そねみ候らんに度度の仰せをかへし・よりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり。

我が主に法華経を信じさせまいらせんと・をぼしめす御心のふかき故か、阿闍世王は仏の御怨なりしが耆婆大臣の御すすめによつて法華経を御信じありて代を持ち給う、妙荘厳王は二子の御すすめによつて邪見をひるがへし給う、此れ又しかるべし貴辺の御すすめによつて今は御心も・やわらがせ給いてや候らん・此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり、根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長しと申して一切の経は根あさく流ちかく法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべしと天台大師あそばし給へり、此の法門につきし人あまた候いしかども・をほやけわたくしの大難・度度重なり候いしかば一年・二年こそつき候いしが後後には皆