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日蓮大聖人・池田大作

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千日尼御返事  (2/5) 九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、…
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されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり、九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし、提婆が三逆も羅睺羅が二百五十戒も同じく仏になりぬ、妙荘厳王の邪見も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし、四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反・大善根を・とかれしかども未顕真実ときらわれしかば・七日ゆをわかして大海になげたるがごとし、ゐ提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば・法華経を信ぜずば返つて本の女人なり、大善を用うる事なし・法華経に値わざればなにかせん、大悪をも歎く事無かれ・一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん、此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。

されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候、若し此の事そらごとにて候わば日蓮が・ひがめにては候はず、釈迦如来の世尊法久後・要当説真実の御舌も・多宝仏の妙法華経・皆是真実の舌相も四百万億那由佗の国土にあさのごとく・いねのごとく・星のごとく・竹のごとく・ぞくぞくと・すきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の一仏も・かけ給はず、広長舌を大梵王宮に指し付けて・をはせし御舌どものくぢらの死にてくされたるがごとく・いわしのよりあつまりて・くされたるがごとく・皆一時にくちくされて十方世界の


諸仏・如来・大妄語の罪にをとされて・寂光の浄土の金るり大地はたと・われて提婆がごとく・無間大城にかつぱと入り・法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱと・いでて・実報華王の花のその・一時に灰燼の地となるべし、いかでか・さる事は候べき、故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし、さてはをとこははしらのごとし女はなかわのごとし、をとこは足のごとし・女人は身のごとし、をとこは羽のごとし・女はみのごとし、羽とみと・べちべちに・なりなば・なにを・もつてか・とぶべき、はしらたうれなばなかは地に堕ちなん、いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし、くうじを・たれにか・いゐあわせん、よき物をば・たれにか・やしなうべき、一日二日たがいしを・だにも・をぼつかなく・をもいしに、こぞの三月の二十一日に・わかれにしが・こぞもまちくらせどまみゆる事なし、今年もすでに七つきになりぬ、たとい・われこそ来らずとも・いかにをとづれはなかるらん、ちりし花も又さきぬ・おちし菓も又なりぬ、春の風も・かわらず・秋のけしきも・こぞのごとし、いかに・この一事のみ・かわりゆきて本のごとく・なかるらむ、月は入りて又いでぬ・雲はきへて又来る、この人人の出でてかへらぬ事こそ天も・うらめしく地もなげかしく候へ、さこそをぼすらめ・いそぎ・いそぎ法華経をらうれうと・たのみまいらせ給いて、りやうぜん浄土へ・まいらせ給いて・みまいらせさせ給うべし。

抑子はかたきと申す経文もあり「世人子の為に衆の罪を造る」の文なり、鵰・鷲と申すとりは・をやは慈悲をもつて養へば子は・かへりて食とす・梟鳥と申すとりは生れては必ず母をくらう、畜生かくのごとし、人の中にも・はるり王は心もゆかぬ父の位を奪い取る、阿闍世王は父を殺せり、安禄山は養母をころし・安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す・安慶緒は又史師明に殺されぬ・史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ、此れは敵と申すもことわりなり、善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり、苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす、又


子は財と申す経文も・はんべり・所以に経文に云く「其の男女追つて福を修すれば大光明有つて地獄を照し其の父母に信心を顕さしむ」等と申す、設い仏説ならずとも眼の前に見えて候。

天竺に安足国王と申せし大王は・あまりに馬をこのみて・かいしほどに・後には・かいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず・牛を馬ともなす・結句は人を馬と・なしてのり給いき、其の国の人あまりに・なげきしかば知らぬ国の人を馬となす、他国の商人の・ゆきたりしかば薬をかいて・馬となして御まやうにつなぎ・つけぬ、なにと・なけれども・我が国はこいしき上・妻子ことにこいしく・しのびがたかりしかども・ゆるす事なかりしかば・かへる事なし、又かへり・たりとも・このすがたにては由なかるべし、ただ朝夕には・なげきのみにして・ありし程に・一人ありし子・父のまちどきすぎしかば・人にや殺されたるらむ又病にや沈むらむ・子の身として・いかでか父をたづねざるべきと・いでたちければ・母なげくらく男も他国より・かへらず・一人の子も・すてて・ゆきなば我いかんがせんと・なげきしかども・子ちちのあまりに・こいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ、ある小屋に・やどりて候しかば家の主申すやう・あらふびんやわどのは・をさなき物なり而もみめかたち人にすぐれたり、我に一人の子ありしが他国にゆきてしにやしけん・又いかにてやあるらむ、我が子の事ををもへば・わどのをみてめも・あてられず、いかにと申せば此の国は大なるなげき有り、此の国の大王あまり馬をこのませ給いて不思議の草を用い給へり、一葉せばき草をくわすれば人・馬となる、葉の広き草をくわすれば馬・人となる、近くも他国の商人の有りしを・この草をくわせて馬となして第一の御まやに秘蔵して・つながれたりと申す、此の男これをきいて・さては我が父は馬と成りて・けりとをもひて・返つて問う其の馬は毛は・いかにと・といければ・家の主答えて云く栗毛なる馬の肩白く・ぶちたりと申す、此の物此の事を・ききて・とかうはからいて王宮に近づき葉の広き草をぬすみとりて・我が父の馬になりたりしに食せしかば本のごとく人となりぬ、其の国の大王・不思議なる・おもひをなして孝養の者なりと