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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (22/43) 生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世…
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云うなり諸法実相と開くを破有法王とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは謗法の有執を断じて釈迦法王と成ると云う事なり、破有の二字を以て釈迦如来の種子とは云うなり、又云く有と云うは我等が煩悩生死なり此の煩悩生死を捨てて別に菩提涅槃有りと云うは権教権門の心なり、今経の心は煩悩生死を其の儘置いて菩提涅槃と開く所を破と云うなり、有とは煩悩・破とは南無妙法蓮華経なり有は所破なり破は能破なり能破・所破共に実相の一理なり、序品の時は尽諸有結と説き此の品には破有法王と説き譬喩品の時は皆是我有と宣べたり云云。

第五 我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貪著・亦無限礙の事

御義口伝に云く此の六句の文は五識なり我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや爾らば無有彼此に非ずや愛憎之心に非ずや我無貪著に非ずや亦無限礙に非ずや。     

       授記品四箇の大事

第一 授記の事

文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。

御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の


相・目連は病の相・須菩提は死の相なり、法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり是れ即ち八相作仏なり、諸法実相の振舞なりと記を授くるなり妙法の授記なるが故に法界の授記なり、蓮華の授記なるが故に法界清浄なり経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり、唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云。

第二 迦葉光明の事

御義口伝に云く光明とは一切衆生の相好なり光とは地獄の灯燃猛火此れ即ち本覚自受用の智火なり乃至仏果之れ同じ、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥の中に指し出だす此れ即ち迦葉の光明如来なり、迦葉は頭陀を本とす頭陀は爰に抖擻と云うなり、今末法に入つて余行を抖擻して、専ら南無妙法蓮華経と修するは此経難持行頭陀者是なり云云。

第三 捨是身已の事

御義口伝に云く此の文段より捨不捨の起りなり転捨にして永捨に非ず転捨は本門なり永捨は迹門なり此の身を捨るは煩悩即菩提生死即涅槃の旨に背くなり云云、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは捨是身已なり不惜身命の故なり云云、又云く此の身を捨すと読む時は法界に五大を捨すなり捨つる処の義に非ず、是の身を捨てて仏に成ると云うは権門の意なりかかる執情を捨つるを捨是身已と説くなり、此の文は一念三千の法門なり捨是身已とは還帰本理・一念三千の意なり、妙楽大師の当知身土・一念三千・故成道時・称此本理・一心一念・遍於法界と釈するは此の意なり云云。

第四 宿世因縁吾今当説の事

御義口伝に云く宿世の因縁とは三千塵点の昔の事なり下根の為に宿世の因縁を説かんと云う事なり、因縁とは


因は種なり縁は昔に帰る義なりもとづくと訓ぜり、大通結縁の下種にもとづくと云う事を因縁と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは過去の因にもとづきたり、爰を以て妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得て聞き已て信を生ず・事須く宿種なるべし」と、宿とは大通の往時なり種とは下種の南無妙法蓮華経なり此の下種にもとずくを因縁と云うなり、本門の意は五百塵点の下種にもとずくべきなり真実妙法の因に縁くを成仏と云うなり。

       化城喩品七箇の大事

第一 化城の事

御義口伝に云く化とは色法なり城とは心法なり、此の色心の二法を無常と説くは権教の心なり法華経の意は無常を常住と説くなり化城即宝処なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり、十界皆化城・十界各各宝処なり化城は九界なり宝処は仏界なり、化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり此の五百由旬とは見思塵沙無明なり、此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり、化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり、我等が色心の二法を無常と説くは権教なり常住と説くは法華経なり無常と執する執情を滅するを即滅化城と云うなり、化城は皮肉・宝処は骨なり色心の二法を妙法と開覚するを化城即宝処の実体と云うなり、実体とは無常常住・倶時相即・随縁不変・一念寂照なり一念とは南無妙法蓮華経・無疑曰信の一念なり即の一字心を留めて之を思う可し云云。

第二 大通智勝仏の事