Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

南条殿御返事 
1573

にかくされ・花を風にふかせて・ゆめか・ゆめならざるか・あわれひさしきゆめかなと・なげきをり候へば・うつつににて・すでに四十九日はせすぎぬ、まことならば・いかんがせん、さける花は・ちらずして・つぼめる花のかれたる、をいたる母は・とどまりて・わかきこは・さりぬ、なさけなかりける無常かな・無常かな。

かかる・なさけなき国をば・いとい・すてさせ給いて故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給いて・常住不壊のりやう山浄土へとくまいらせ給うちちはりやうぜんにまします・母は娑婆にとどまれり、二人の中間に・をはします故五郎殿の心こそ・をもひやられて・あわれに・をぼへ候へ、事多しと申せども・とどめ候い畢んぬ、恐恐謹言。

  十月二十四日日蓮花押

   上野殿母尼御前御返事

南条殿御返事

麞牙二石並びに蹲鵄一だ・故五郎殿百ケ日等云云、法華経の第七に云く、「川流江河諸水の中に海これ第一なり此の法華経も亦復是くの如し」等云云、此の経は法華経をば大海に譬へられて候、大海と申すは・ふかき事八万四千由旬広きこと又かくのごとし、此の大海の中にはなになにのすみ有りと申し候へば阿修羅王・凡夫にてをはせし時・不妄語戒を持ちて・まなこをぬかれ・かわをはがれ・ししむらをやぶられ・血をすはれ骨かれ・子を殺され・めをうばわれなんどせしかども・無量劫が間・一度もそら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなしと・とかせ給いて候、釈迦一仏の仰せなりとも疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事をばせさせ給うべき、其の上釈迦仏と十方の仏と同時に舌を大梵天に。


上野殿御返事

鵞目一貫文送り給い了んぬ、御心ざしの候へば申し候ぞ・よくふかき御房とおぼしめす事なかれ。

仏にやすやすとなる事の候ぞ・をしへまいらせ候はん、人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし、又二つなき物を人にあたへ・命のたゆるに人のせにあふがごとし。

金色王と申せし王は其の国に十二年の大旱魃あつて万民飢え死ぬる事かずをしらず、河には死人をはしとし・陸にはがいこつをつかとせり、其の時・金色大王・大菩提心ををこしておほきに施をほどこし給いき、せすべき物みなつきて蔵の内に・ただ米五升ばかりのこれり、大王の一日の御くごなりと臣下申せしかば・大王五升の米をとり出だして・一切の飢えたるものに或は一りう・二りう・或は三りう・四りうなんど・あまねくあたへさせ給いてのち・天に向わせ給いて朕は一切衆生のけかちの苦に・かはりて・うえじに候ぞと・こえをあげて・よばはらせ給いしかば・天きこしめして甘呂の雨を須臾に下し給いき、この雨を身にふれ・かをにかかりし人・皆食にあきみちて一国の万民・せちなのほどに・命よみかへりて候いけり。

月氏国にす達長者と申せし者は七度貧になり・七度長者となりて候いしが・最後の貧の時は万民皆にげうせ・死にをはりて・ただ・めおとこ二人にて候いし時・五升の米あり五日のかつてとあて候いし時・迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦仏の五人・次第に入らせ給いて五升の米をこひとらせ給いき、其の日より五天竺第一の長者となりて・祇園精舎をば・つくりて候ぞ、これをもつて・よろづを心へさせ給へ。


貴辺は・すでに法華経の行者に似させ給へる事・さるの人に似・もちゐの月に似たるがごとし、あつはらのものどもの・かくをしませ給へる事は・承平の将門・天喜の貞当のやうに此の国のものどもは・おもひて候ぞ、これひとへに法華経に命をすつるがゆへなり、まつたく主君にそむく人とは天・御覧あらじ、其の上わづかの小郷に・をほくの公事せめあてられて・わが身は・のるべき馬なし・妻子はひきかくべき衣なし。

かかる身なれども法華経の行者の山中の雪に・せめられ食ともしかるらんと・おもひやらせ給いて・ぜに一貫をくらせ給へるは・貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへ・りだが合子の中なりし・ひえを辟支仏に・あたへたりしがごとし、たうとし・たうとし、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言。

  弘安三年十二月二十七日               日蓮花押

   上野殿御返事

上野尼御前御返事

聖人ひとつつ・ひさげ十か・十字百・あめひとをけ・二升か・柑子ひとこ・串柿十くし・ならびにおくり候い了んぬ春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごとくみたせ給うべきよしうけ給わり了んぬ。

抑故五らうどのの御事こそ・をもいいでられて候へ、ちりし花もさかんとす・かれしくさもねぐみぬ、故五郎殿もいかでか・かへらせ給はざるべき、あわれ無常の花と・くさとのやうならば・人丸にはあらずとも花のもとも・はなれじ、いはうるこまにあらずとも・草のもとをばよもさらじ。

経文には子をばかたきととかれて候、それもゆわれ候か・梟と申すとりは母をくらう・破鏡と申すけだものは父をがいす、あんろく山と申せし人は師史明と申す子にころされぬ、義朝と申せしつはものは為義と申すちちを