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日蓮大聖人・池田大作

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西山殿御返事 
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西山殿御返事

としごろ後生をぼしめして御心ざしをはすれば名計り申し候、同行どもにあらあらきこしめすべし、やすき事なれば智慧の入る事にあらず智慧の入る事にあらず、恐恐。

  一月廿三日                     日蓮在御判

   西山殿御返事

妙心尼御前御返事

                    建治元年八月 五十四歳御作

すずの御志送り給び候い了んぬ、おさなき人の御ために御まほりさづけまいらせ候、この御まほりは法華経のうちのかんじん一切経のげんもくにて候、たとへば天には日月・地には大王・人には心・たからの中には如意宝珠のたま・いえにははしらのやうなる事にて候

このまんだらを身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

  八月二十五日                    日蓮花押

   妙心尼御前御返事


窪尼御前御返事

                    弘安元年五月 五十七歳御作

粽五把・笋十本・千日ひとつつ給い畢んぬ、いつもの事に候へども・ながあめふりてなつの日ながし、山はふかく・みちしげければ・ふみわくる人も候はぬに・ほととぎすにつけての御ひとこへありがたし・ありがたし。

さてはあつわらの事こんどをもつて・をぼしめせ・さきもそら事なり、かうのとのは人のいゐしに・つけて・くはしくも・たづねずして此の御房をながしける事あさましと・をぼしてゆるさせ給いてののちは・させるとがもなくてはいかんが・又あだせらるべき、すへの人人の法華経の心にはあだめども・うへにそしらば・いかんがと・をもひて・事にかづけて人をあだむほどに・かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ、これはそらみげうそと申す事はみぬさきよりすいして候、さどの国にてもそらみげうそを三度までつくりて候しぞ、これにつけても上と国との御ためあはれなり、木のしたなるむしの木をくらひたうし・師子の中のむしの師子を食らいうしなふやうに守殿の御をんにて・すぐる人人が守殿の御威をかりて一切の人人ををどし・なやまし・わづらはし候うへ、上の仰せとて法華経を失いて国もやぶれ主をも失うて返つて各各が身をほろぼさんあさましさよ、日蓮はいやしけれども経は梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまほらせ給う御経なれば・法華経のかたをあだむ人人は・剣をのみ火を手ににぎるなるべし、これにつけても・いよいよ御信用のまさらせ給う事、たうとく候ぞたうとく候ぞ。

  五月三日                      日蓮花押

   窪尼御返事


窪尼御前御返事

                    弘安元年六月 五十七歳御作

すずの御供養送り給い了んぬ、大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候、よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎさよ、ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし、恐恐。

  六月二十七日                    日蓮花押

   くぼの尼御前御返事

妙心尼御前御返事

                    弘安元年八月 五十七歳御作

あわしかき二籠なすび一こ給い候い了んぬ、入道殿の御所労の事、唐土に黄帝・扁鵲と申せし・くすしあり・天竺に持水・耆婆と申せしくすしあり、これらはその世のたから末代のくすしの師なり、仏と申せし人はこれにはにるべくもなきいみじきくすしなり、この仏・不死の薬をとかせ給へり・今の妙法蓮華経の五字是なり、しかも・この五字をば閻浮提人病之良薬とこそ・とかれて候へ。

入道殿は閻浮提の内日本国の人なり、しかも身に病をうけられて候病之良薬の経文顕然なり、其の上蓮華経は第一の薬なり、はるり王と申せし悪王・仏のしたしき女人五百余人を殺して候いしに・仏阿難を霊山につかはして青蓮華をとりよせて身にふれさせ給いしかば・よみかへりて七日ありて忉利天に生れにき、蓮華と申す花はかかるいみじき徳ある花にて候へば仏妙法にたとへ給へり、又人の死ぬる事は・やまひにはよらず・当時のゆきつしまのものどもは病なけれども・みなみなむこ人に一時に・うちころされぬ・病あれば死ぬべしといふ事不定なり、又