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日蓮大聖人・池田大作

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寂日房御書  (1/2) 父母となり其の子となるも必ず宿習なり
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聖智が跡の主となるをもつてしろしめせ、日本国の山寺の主ともなるべし、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり・天のあたへ給うべきことわりなるべし。

米一斗六升・あはの米二升・やき米はふくろへ・それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候、これは・いたみをもひ候、これより後は心ぐるしく・をぼしめすべからず候、よく人人にしめすべからず候、よく人人にもつたへさせ給い候へ

  乃 時

   別当御房御返事

寂日房御書

                    弘安二年九月 五十八歳御作

                    与 寂日房日家 於身延

是まで御をとづれかたじけなく候、夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり。

日蓮は日本第一の法華経の行者なりすでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり、八十万億那由佗の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし、かかる不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり、父母となり其の子となるも必ず宿習なり、若し日蓮が法華経・釈迦如来の御使ならば父母あに其の故なからんや、例せば妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼の如し、釈迦多宝の二仏・日蓮が父母と変じ給うか、然らずんば八十万億の菩薩の生れかわり給うか、又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か不思議に


覚え候、一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。

日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり、彼のはんくわいちやうりやうまさかどすみともといはれたる者は名を・をしむ故にはぢを思う故に・ついに臆したることはなし、同じはぢなれども今生のはぢは・もののかずならず・ただ後生のはぢこそ大切なれ、獄卒・だつえば懸衣翁が三途河のはたにて・いしやうをはがん時を思食して法華経の道場へまいり給うべし、法華経は後生のはぢをかくす衣なり、経に云く「裸者の衣を得たるが如し」云云。

此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ・よくよく信じ給うべし、をとこのはだへをかくさざる女あるべしや・子のさむさをあわれまざるをやあるべしや、釈迦仏・法華経はめとをやとの如くましまし候ぞ、日蓮をたすけ給う事・今生の恥をかくし給う人なり後生は又日蓮御身のはぢをかくし申すべし、昨日は人の上・今日は我が身の上なり、花さけばこのみなり・よめのしうとめになる事候ぞ、信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱え給うべし、度度の御音信申しつくしがたく候ぞ、此の事寂日房くわしくかたり給へ。

  九月十六日                     日蓮花押


新尼御前御返事

                   文永十二年二月 五十四歳御作

あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ、又大尼御前よりあまのり畏こまり入つて候、此の所をば身延の嶽と申す駿河の国は南にあたりたり彼の国の浮島がはらの海ぎはより此の甲斐の国・波木井の郷・身延の嶺へは百余里に及ぶ、余の道・千里よりもわづらはし、富士河と申す日本第一のはやき河・北より南へ流れたり、此の河は東西は高山なり谷深く左右は大石にして高き屏風を立て並べたるがごとくなり、河の水は筒の中に強兵が矢を射出したるがごとし、此の河の左右の岸をつたい或は河を渡り或時は河はやく石多ければ舟破れて微塵となる、かかる所をすぎゆきて身延の嶺と申す大山あり、東は天子の嶺・南は鷹取りの嶺・西は七面の嶺・北は身延の嶺なり、高き屏風を四ついたてたるがごとし、峯に上つて・みれば草木森森たり谷に下つてたづぬれば大石連連たり、大狼の音・山に充満し猨猴のなき谷にひびき鹿のつまをこうる音あはれしく蝉のひびきかまびすし、春の花は夏にさき秋の菓は冬になる、たまたま見るものは・やまかつがたき木をひろうすがた時時とぶらう人は昔なれし同朋なり、彼の商山の四皓が世を脱れし心ち竹林の七賢が跡を隠せし山もかくやありけむ、峯に上つて・わかめやをいたると見候へば・さにてはなくして・わらびのみ並び立ちたり、谷に下つてあまのりや・をいたると尋ぬれば、あやまりてや・みるらん・せりのみしげり・ふしたり、古郷の事はるかに思いわすれて候いつるに・今此のあまのりを見候いてよしなき心をもひいでて・うくつらし、かたうみいちかはこみなとの磯の・ほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんと・かたちがへなる・うらめしさ・なみだをさへがたし。

此れは・さて・とどめ候いぬ、但大尼御前の御本尊の御事おほせつかはされて・おもひわづらひて候、其の故は